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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

若草山北西麓より・・・

「三笠山」と言えば誰もが百人一首の 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂 を想起するだろう。ここでの「三笠山」は春日大社の東に聳え、その神の宿る山として知られる御蓋山みかさやまをさすが、実は奈良にはもう一つの「三…

都祁の春

私の職場がある奈良県奈良市都祁つげの里は、その大半が標高400m以上という高地である。特に私の職場に至っては標高500mになりなんとする地点にある。私が居住する三輪の標高が80mほどであるから私は毎日400mほどの標高差を上ったり下りたりしていること…

お散歩4・9

ちょいと更新が間遠になっている。書こうと思っているネタがないことはないのだが、ちょいと骨が折れそうなので、手を付けることに躊躇しているからだ。かといって・・・あんまり間を開けてしまったのでは、私のようなもののブログは忘れ去られてしまう恐れ…

今週の三輪山・・・巻向川のほとりより

2016年3月28日6時56分 本当に久しぶりの「今週の三輪山」である。撮影したのは巻向まきむく川と上つ道(上街道)の交わった橋の畔の用水池の土手。以前にも何回か、ここからの写真はご紹介した。 http://soramitu.net/zakki/archives/7203 http://soramitu.n…

人がそこに住み、暮らし続けるということ

孔子が泰山のそばを通った時のこと・・・墓の傍らで声を上げて泣く婦人がいて、その様子は悲しげだった。先生(孔子)は車の横木に手をついて丁寧に礼をして、、弟子の子路にその理由を質問させた。 「あなたが声を上げて泣く様子は重ね重ねの悲しみがおあり…

万葉の桜井・・・高家

高屋 舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手(ころもて)の 高屋(たかや)の上に たなびくまでに (ぬば玉の)夜霧がすっかり立ちこめた。(衣手の)遠く高屋のあたりの上を覆いつくしてたなびくほどに。 (九・1706) 高屋(たかや) …

二つの校歌(3月11日によせて)

松風は窓ににおい白き渚鴎光る。 ああ、我らここに集いて瞳清く英知磨かん・・・ これは私が卒業した鳴瀬第2中学校の校歌である。この校歌がもう歌われることのなくなったものであることは、ちょうど1年前の記事にて皆さんにご説明をした。 5年前の今日、あ…

「花巴」の里・・・下

麹室こうじむろでの作業が済めば、今度は「酒母造り」である。杜氏さんや蔵の人々は「酛もと立て」というらしい。まずは麹室で麹菌の働きにより糖化の進んだ蒸し米・・・麹を水に加える。この状態のものを水麹という。この際、麹を入れる仕込み水は、当然の…

「花巴」の里へ・・・中

「花巴」という酒の名は、これまで何度かきいたことがあったが試したことはなかった。それどころか酒屋の店先でそのラベルを見ることすら、おそらくはなかった。それは、限られた酒屋、限られた酒場にしか卸してはいない・・・というこの蔵の姿勢によるもの…

「花巴」の里へ・・・上

JR和歌山線、吉野口の駅で乗り換えると、近鉄吉野線は薬水くすりみず・福神ふくがみ・大阿太おおあだと少々変わった名の駅を過ぎる。ほどなく目的の六田むだの駅である。万葉集にも 詠河 音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも 巻七・11…

帰郷の記・・・宮城峡

長々と続いた今回の帰郷のレポートも今回が最後となる。1月9日から11日にかけてのたった3日間の事について書き始めて、もう一ヶ月。そろそろいい加減にしないとお付き合いいただいている皆様にも申し訳ない。 最後に訪れたのは、10日の夜に宿を取った遠刈田…

帰郷の記・・・多賀城(捕逸)

前回は私が子供のころからその地を踏むことを夢見ていた古代の城柵、多賀城について書いた。実はその際にもう少し触れておきたかったことがあるのだが、文の構成上どうしても入れることができなかったことが二つあった。よって今回は捕逸と銘打って、その二…

帰郷の記・・・多賀城

2016年1月10日、私は幼い頃から憧れ続けていた場所にようやく立つことが出来た。それは確か小学校の5年生か6年生の頃のことであった。私は父の書棚から背表紙に「日本の歴史」と書かれた3冊の箱入りの本を見つけた。時代劇などを通じて少なからぬ興味を歴史…

帰郷の記・・・瑞巌寺(下)

・・・と、右に折れて突き当たりの所に写真のような塚が目に入った。 [caption id="attachment_7524" align="alignnone" width="300"] 鰻塚[/caption] 鰻塚である。鰻塚は、大正12年8月16日に建立されたもので、「鰻塚」の文字は瑞巌寺第126世松原盤龍…

帰郷の記・・・瑞巌寺(上)

松島湾の海岸線に沿って東西に走る道沿いにいわゆる観光地の「松島」はある。その東西の道から、土産物屋のいくつかの分だけ奥に入ったところに瑞巌寺の総門はある。 [caption id="attachment_7511" align="alignnone" width="300"] 瑞巌寺総門[/caption] 伊…

帰郷の記・・・野蒜駅

我が郷里で、全国的に名の知られた民謡に斎太郎節がある。この斎太郎節と遠島甚句を合わせて歌えば大漁歌い込みとなるのだが、その斎太郎節に「まつしま(松島)~の~ さ~よ~ず~い~がんじ~(瑞巌寺)ほ~ど~の~ て~ら~(寺)も な~い~と~え~」…

帰郷の記・・・野蒜海岸

釣石神社を訪れた後、兄と会食し石巻に宿を取った私は、翌朝叔母の家を訪ねた後に生まれ育った東松島市野蒜の地を訪ねた。宮城と山形の県境、船形連峰の船形山を水源とし、わが県でも有数の穀倉地帯である大崎平野を潤した鳴瀬川は、ここで太平洋に流れ入る…

帰郷の記・・・釣石神社

突然ではあるがこの三連休を利用して宮城に帰ってきた。2年半ぶりの帰郷である。これから数回にわたってそのレポートをお届けしようと思うが、まあ帰郷ともなれば、親兄弟に会うとか親戚に会うとか墓参りをするとか・・・皆さんにはつまらない事柄(むろん…

伝 山部赤人の墓

天平19年(747)3月3日の日付で、大伴家持はその歌友大伴池主いけぬしに長歌1首、短歌3首(万葉集巻十七/3969~3972)を贈っている。その4首には書簡が添えられているのだが、その中に次のような一節がある。 幼年未だ山柿さんしの門に渉らずして、裁歌の趣…

2016年初詣・・・兼「お散歩」「今週の三輪山」

2016年が始まった。今年も例年のごとく大神神社おおみわじんじゃへの初詣は1月2日。1月1日はおせちを食べたり、お酒を飲んだりでなかなか忙しいのだ。こんなふうに書くと、大神神社の神様をないがしろにして正月から酒ばっかり飲んでいるように受け取られか…

新年のご挨拶

2016年元日 2016年の春がつつがなく迎えられたこと、お喜び申し上げます。 この一年が皆様にとって素晴らしいものでございますようお祈り申し上げます。 三輪山の麓より 三友亭主人

2015年今年の人気記事ベスト10(笑)

これが今年の最後の記事となる。年の暮れももうそこまで来ている時節柄、テレビなんかを見ていると今年の重大事件(十大事件)なんかを振り返る番組が目白押しで、あちらこちらと訪問させていただいているブログでも同様の記事を書いている方がしばしば目に…

万葉の桜井・・・忍坂・倉橋

忍坂山(おさかやま) [caption id="attachment_3525" align="alignnone" width="400"] 忍坂より見た外鎌山[/caption] 桜井市忍阪の東北方の、外鎌山(高さ293m)のこと。 北の三輪山に対して泊瀬川を挟んで南に聳える。その南麓の斜面に舒明天皇陵、鏡王女の…

万葉の桜井・・・磐余

磐余いはれ 「天ノ香久山の東北麓にかつて存在した磐余池付近から西方に及ぶ地域。大和の平野部から宇陀の山間部への入り口に位置する。」とは日本地名大辞典(角川出版。以下、地名辞典と略す)の説明。他の多くの説明によれば、奈良県桜井市南西部の池の内…

今週の三輪山・・・金屋河川敷付近より

2015年12月12日11時30分 三輪山の色づき具合もそろそろ頂点に達してきた。あとは褐色に色づいた葉が落ちて、三輪山は春まで色彩の乏しい季節を過ごすことになる。 この前の記事から、「万葉の桜井」と称して以前書いたものに、手を加えちょちょいとネタ不足…

万葉の桜井・・・海石榴市

一昨年だったか、人様の前で桜井の万葉というテーマで話をしなければならぬ羽目になり、大慌てでその資料を作った。上のメニューにある桜井の万葉というボタンに収められたいくつかのページはその時に作ったものである。が、大慌てで作ったがゆえ(なにせお…

十津川に行く

先週の末のことである。全国的に寒波に襲われ我が大和にもこのシーズン初の雪が降ったその日、私は大和の地にあって最も高い地点を抜ける峠道を車で南へと向かっていた。目的地は十津川とつかわ村。日本最大の「村」(672.38 km²)である。もっともこれはい…

今週の三輪山・・・箸墓越しに

2015年11月28日9時50分 まったくおんなじ題名で今年の3月18日に一つ記事を書いている。その時よりはやや箸墓に近づいての撮影である。その分だけ箸墓の北側にある池の堤が迫っている。 右、一番色濃く移っている小山が箸墓である。そしてその陰になって半…

三輪の御山の酒祭り(後)

拝殿内の準備もおおかた済んだ頃、あちらこちらの蔵からいらっしゃった醸造関係の方々が入場。祭礼はいよいい始まる。 禰宜たちの入場が完了すると斎主と思しき方が祭壇の横手から御山の方に向かってなにかしらごにょごにょと唱える。どうもこれから祭礼れに…

味酒 三輪の御山の酒祭り(前)

先週の土曜日・・・11月14日は大神神社の酒祭り。 大神神社で何故、かくもうれしげなお祭りがおこなわれるかについては前に書いた。そんな日と週末が重なるという滅多にない機会に三輪の里に住む私が出かけない手はない。祭が始まるのは10時30分。私は少々早…

今週の三輪山・・・箸墓より

2015年11月16日6時45分 家を出た時には朝霧で三輪山は見えていなかった。 けれども上街道(上つ道)を北上し、箸墓にさしかかった頃三輪山は姿を見せてくれた。その背後に日輪の朱をほのかに見せながら・・・北に並ぶ巻向山や竜王連山はまだ霧に隠れたままで…

味酒 三輪の御山の酒祭り・・・前置き

三輪の枕詞は「味酒うまざけ」である。「みわ」なる語は萬葉集巻十三の3229に 斎串いぐし立て みわ据ゑ奉る 祝部はふりへが うずの玉かげ見ればともしも の傍線部「みわ」が原文では「神酒」と表記されている例や、和名抄にも「神酒」に「美和みわ」との訓み…

大伴旅人と藤原房前・・・捕逸

5回にわたって奈良朝前期における藤原氏と大伴氏の関係について、思うところをくだくだしいまでに述べてきた。ここまでお付き合い願えた方には本当に何とお礼を申し上げて良いか分からないが、そこには従来いわれているような新勢力と旧勢力との反目や排除し…

お散歩・・・2015/11/7

あと一回で七面倒くさい文章にお付き合いいただくことも終わるのかと思うが、その最後の一回が結構難物で時間がかかっている。ということで、今日はお気楽なものを・・・ということで、久しぶりのお散歩。 コースはいつも通りの大神神社。 毎度おなじみの大…

大伴旅人と藤原房前・・・5

長く際限のない妄想にお付き合いいただいている。はじめは2回ぐらいで終わってしまう予定であったが、書くほどに妄想は広がり皆さんにはダラダラとした戯言にお付き合いいただいている。それもあと2回ほどで終わりそうになってきた。またかとお思いであろう…

今週の三輪山・・・巻向川のほとりより

2015年10月26日6時45分 撮影したのは巻向川と上つ道(上街道)の交わった橋の畔の用水池の土手。 ここから見える三輪山は、けっこうお気に入り。今は周囲の木々からの落葉が多いため水面にはいろいろと浮かんでいて、今一つの感じがあるが、もう少し経つとそ…

大伴旅人と藤原房前・・・4

鎌足に続いて藤原氏で名をなすのはご存じ藤原不比等である。不比等は鎌足の第2子。11歳の時、父鎌足が死去し、有力な後ろ盾を持たずに出仕した不比等は下級官人からのスタートを余儀なくされた。阿閉皇女(後の元明天皇)付き女官で持統末年頃から不比等と婚…

大伴旅人と藤原房前・・・3

前回は、この度私が話題として取り上げている藤原氏と大伴氏の関係について、さらには大伴旅人の筑紫下向の意味について林田正男氏の御論文を援用しつつ、この件に関して奈良時代前期の政治的状況について、従来いわれているような長屋王を中心とした旧勢力…

大伴旅人と藤原房前・・・2

前回の記事において私は通常行われている奈良時代前半の最大の政変である長屋王の変についての、 不比等死後、長屋王に政権を奪われた藤原4兄弟は、聖武天皇夫人光明子を皇后にしようと画策していたが、皇族以外からの皇族以外からの皇后は前例がないとして…

大伴旅人と藤原房前・・・1

前回の記事では時の大宰帥だざいのそち(大宰府長官)大伴旅人と中衛府大将藤原房前の間に交わされた心温まる贈答を紹介した。そしてその末尾に、この贈答にいささかの疑念が私にはあり、以降の記事においてこの疑念に対しての私なりの理解を開陳してみたい…

大伴淡等謹状  梧桐日本琴一面

かなり以前・・・万葉短歌僻読が虚見津という名で更新されていた頃、以下のような記事を載せ、天平の初年、大伴旅人と藤原房前の間で行われた、心温まる交流を紹介したことがある。この記事は虚見津を改訂する形で万葉短歌僻読というブログを立ち上げた時に…

今週の三輪山・・・大美和展望台より

2015年10月3日9:00 久しぶりのお散歩である。朝の空気は冷え冷えとして実に心地よい。コースはいつもの通り。家の裏手にある坂道を上り、平等寺のところを左に曲がり大神神社へ・・・ 写真はその坂道の途中で撮ったもの。背後の白い壁の家は、いつもおいでく…

満願成就

既にお気づきのことかと思うが、ここのところ1日も休むことなく記事の更新を続けている。週に1度か2度のペースで更新を続けてきた本ブログとしては破格のハイペースである。私がこんなペースでいつまでも続けられるわけではないことは、いつもおいでくだ…

元興寺の鬼と不審ヶ辻子

先日、元興寺の鬼という説話を紹介した。今日はその鬼に関連した伝説を一つお届けする。その時の記事にもあったように元興寺は今、奈良町と呼ばれている地域にあるが、その奈良町内の不審ヶ辻子ふしんがづしという地名に関わる話だ。 その地名は、現在の奈良…

続続 お彼岸はお寺参り

昨日・・・9月27日、お彼岸は終わったのだが、この日もお寺参りをした。寺の名は般若寺。コスモスの寺として奈良県内では知れ渡ってはいるが、このブログで紹介するのはおそらく初めてのことかと思う。 ご覧の通りの立派な楼門がまず目に付くが、実はこの般…

9月27日の月の夜は・・・

今日は9月27日、旧暦で言えば8月15日。仲秋の名月た。 ということで、昨年に引き続き大神神社の観月祭に出かける。昼の内から様々な催し(句会・茶会等)がなされているのだが、私が行ったのは夕刻6時半から行われる観月祭。神楽や舞楽の奉納、雅楽演奏など…

元興寺の鬼

昨日は彼岸の中日、元興寺をお参りした話をした。もうこの時期に元興寺を参るのは3年目になる(むろん、そこには季節の花々を眺めるという目的があるのだが・・・)。そんな時いつもこの寺で「?」と思っていたのが、これらの像である。 お寺の境内に・・・…

続 お彼岸は寺参り

23日は彼岸の中日、前日の飛鳥寺に続いて奈良町にある元興寺にお参りをした。なかなか信仰深いことである。 昨日は飛鳥寺について 飛鳥寺・・・現在、正しくは現在は安居院と呼ばれているこの寺は、かつて正しくは法興寺・元興寺とも呼ばれた。 と紹介したが…

お彼岸は寺参り・・・

9月22日、確か去年も今頃、この場所に来ていた・・・薄氷堂さんと一緒にである(調べてみたら9月23日だった)。 そう・・・飛鳥寺である。 私は郷里を離れて暮らしているため、彼岸だからといって容易に墓参りに行くことは能わぬ。妻方の墓参りと言っても、…

続高天彦神社に行く

高天彦神社の祭神は高御産巣日神たかみむすびのかみ、市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと、菅原道真公。主祭神は高皇産霊神。『古事記』によれば、天地開闢の時、天之御中主神あめのみなかぬしのかみについで神産巣日神かみむすびのかみとともに高天原に出現…