大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

万葉集

若草山北西麓より・・・

「三笠山」と言えば誰もが百人一首の 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 阿倍仲麻呂 を想起するだろう。ここでの「三笠山」は春日大社の東に聳え、その神の宿る山として知られる御蓋山みかさやまをさすが、実は奈良にはもう一つの「三…

今週の三輪山・・・巻向川のほとりより

2016年3月28日6時56分 本当に久しぶりの「今週の三輪山」である。撮影したのは巻向まきむく川と上つ道(上街道)の交わった橋の畔の用水池の土手。以前にも何回か、ここからの写真はご紹介した。 http://soramitu.net/zakki/archives/7203 http://soramitu.n…

万葉の桜井・・・高家

高屋 舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手(ころもて)の 高屋(たかや)の上に たなびくまでに (ぬば玉の)夜霧がすっかり立ちこめた。(衣手の)遠く高屋のあたりの上を覆いつくしてたなびくほどに。 (九・1706) 高屋(たかや) …

「花巴」の里へ・・・上

JR和歌山線、吉野口の駅で乗り換えると、近鉄吉野線は薬水くすりみず・福神ふくがみ・大阿太おおあだと少々変わった名の駅を過ぎる。ほどなく目的の六田むだの駅である。万葉集にも 詠河 音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも 巻七・11…

帰郷の記・・・多賀城(捕逸)

前回は私が子供のころからその地を踏むことを夢見ていた古代の城柵、多賀城について書いた。実はその際にもう少し触れておきたかったことがあるのだが、文の構成上どうしても入れることができなかったことが二つあった。よって今回は捕逸と銘打って、その二…

伝 山部赤人の墓

天平19年(747)3月3日の日付で、大伴家持はその歌友大伴池主いけぬしに長歌1首、短歌3首(万葉集巻十七/3969~3972)を贈っている。その4首には書簡が添えられているのだが、その中に次のような一節がある。 幼年未だ山柿さんしの門に渉らずして、裁歌の趣…

万葉の桜井・・・忍坂・倉橋

忍坂山(おさかやま) [caption id="attachment_3525" align="alignnone" width="400"] 忍坂より見た外鎌山[/caption] 桜井市忍阪の東北方の、外鎌山(高さ293m)のこと。 北の三輪山に対して泊瀬川を挟んで南に聳える。その南麓の斜面に舒明天皇陵、鏡王女の…

万葉の桜井・・・磐余

磐余いはれ 「天ノ香久山の東北麓にかつて存在した磐余池付近から西方に及ぶ地域。大和の平野部から宇陀の山間部への入り口に位置する。」とは日本地名大辞典(角川出版。以下、地名辞典と略す)の説明。他の多くの説明によれば、奈良県桜井市南西部の池の内…

万葉の桜井・・・海石榴市

一昨年だったか、人様の前で桜井の万葉というテーマで話をしなければならぬ羽目になり、大慌てでその資料を作った。上のメニューにある桜井の万葉というボタンに収められたいくつかのページはその時に作ったものである。が、大慌てで作ったがゆえ(なにせお…

味酒 三輪の御山の酒祭り・・・前置き

三輪の枕詞は「味酒うまざけ」である。「みわ」なる語は萬葉集巻十三の3229に 斎串いぐし立て みわ据ゑ奉る 祝部はふりへが うずの玉かげ見ればともしも の傍線部「みわ」が原文では「神酒」と表記されている例や、和名抄にも「神酒」に「美和みわ」との訓み…

大伴旅人と藤原房前・・・捕逸

5回にわたって奈良朝前期における藤原氏と大伴氏の関係について、思うところをくだくだしいまでに述べてきた。ここまでお付き合い願えた方には本当に何とお礼を申し上げて良いか分からないが、そこには従来いわれているような新勢力と旧勢力との反目や排除し…

大伴旅人と藤原房前・・・5

長く際限のない妄想にお付き合いいただいている。はじめは2回ぐらいで終わってしまう予定であったが、書くほどに妄想は広がり皆さんにはダラダラとした戯言にお付き合いいただいている。それもあと2回ほどで終わりそうになってきた。またかとお思いであろう…

大伴旅人と藤原房前・・・4

鎌足に続いて藤原氏で名をなすのはご存じ藤原不比等である。不比等は鎌足の第2子。11歳の時、父鎌足が死去し、有力な後ろ盾を持たずに出仕した不比等は下級官人からのスタートを余儀なくされた。阿閉皇女(後の元明天皇)付き女官で持統末年頃から不比等と婚…

大伴旅人と藤原房前・・・3

前回は、この度私が話題として取り上げている藤原氏と大伴氏の関係について、さらには大伴旅人の筑紫下向の意味について林田正男氏の御論文を援用しつつ、この件に関して奈良時代前期の政治的状況について、従来いわれているような長屋王を中心とした旧勢力…

大伴旅人と藤原房前・・・2

前回の記事において私は通常行われている奈良時代前半の最大の政変である長屋王の変についての、 不比等死後、長屋王に政権を奪われた藤原4兄弟は、聖武天皇夫人光明子を皇后にしようと画策していたが、皇族以外からの皇族以外からの皇后は前例がないとして…

大伴旅人と藤原房前・・・1

前回の記事では時の大宰帥だざいのそち(大宰府長官)大伴旅人と中衛府大将藤原房前の間に交わされた心温まる贈答を紹介した。そしてその末尾に、この贈答にいささかの疑念が私にはあり、以降の記事においてこの疑念に対しての私なりの理解を開陳してみたい…

大伴淡等謹状  梧桐日本琴一面

かなり以前・・・万葉短歌僻読が虚見津という名で更新されていた頃、以下のような記事を載せ、天平の初年、大伴旅人と藤原房前の間で行われた、心温まる交流を紹介したことがある。この記事は虚見津を改訂する形で万葉短歌僻読というブログを立ち上げた時に…

暁と 夜鴉鳴けど

暁あかときと 夜鴉よがらす鳴けど この森の 木末こぬれの上は いまだ静けし もう暁だよ、と夜鴉が鳴くので、しぶしぶ愛しいあのこの家を出てきたが、振り返り見れば裏山の森の梢の鳥たちは、まだ静かなままじゃあないか。 万葉集・巻七・1263 東の空が白々と…

イノウエミチヤス?

井上通泰・・・ちょいと聞き慣れない名前かと思う。明治期に活躍した桂園派歌人で国文学者でもあり眼科医でもあった人だ。正しくは「ミチヤス」とその名を読むべきなのであろうが、一般には「ツウタイ」と読むことが多い。 父は儒者松岡操で姫路元塩町に生れ…

少々アカデミックに

6月から7月にかけて、少々アカデミックな時間を過ごした。この国の古代に関わってお二人の研究者のお話を聞くことが出来た。その二つのお話とは、 「道が語る古代史ー古代道路の謎」 近江俊秀 フツノミタマとフツヌシの神─石上・香取・国譲り神話をからめて─…

山辺の道1日旅行・・・11

5月9日に行われた万葉学会主催の徒歩旅行についてのレポートがまだ終わらない。開催されてからもうふた月もたとうというのだから、そろそろいい加減にしなければならないとは思うのだが遅々として進まない。あと少しの所まで来ているのだが・・・まあ、なん…

山辺の道1日旅行・・・11

5月9日に行われた万葉学会主催の徒歩旅行についてのレポートがまだ終わらない。開催されてからもうふた月もたとうというのだから、そろそろいい加減にしなければならないとは思うのだが遅々として進まない。あと少しの所まで来ているのだが・・・まあ、なん…

山辺の道1日旅行・・・10

昼食をとる予定の白毫寺は宅春日神社から徒歩10分あまり。静かな静かな白毫寺町の街並みを東へと向かった先にある。道の突き当りに幅の狭いコンクリートの階段がある。そしてそれは途中から古びた石段に変わり、そこを上り詰めれば百毫寺である。 そう楽では…

山辺の道1日旅行・・・4

飛火野は、春日大社一の鳥居の南に広がる一帯の芝地。きれいに刈られた芝はもちろん人間の仕業ではなく、鹿さんたちの日々の精進の賜物である。 飛火野は現在、一般に「とびひの」と呼ばれているが、古くは「とぶひの」と呼ばれていた。地名の由来は続日本紀…

霍公鳥の声

一昨日の晩、夜の11時も回ってそろそろ寝ようかという時、ほんの微かではあるが確かに聞こえた。 ホ・ト・サ・ケ・タ・カ 皆さんのお住まいではこの鳥の鳴き声がどう表現されているかは知らない。私の生まれ育った場所においては、紛れもなく決して漢字表記…

山辺の道1日旅行・・・3

私が勝手に全体から離れ、三作石子詰伝承の残る興福寺菩提院の大御堂の前へと寄り道している間に一行はどんどん先に進んでいた。見れば春日大社一の鳥居を過ぎたあたりでこの日最初のレクチャーが始まっていた。 私は大慌てで道を東に急ぎ道を渡る。手前に警…

山辺の道1日旅行・・・2

興福寺の南大門の横のところで三条通りに出て、春日大社へと東に向かう。総勢80名強の一行の列は歩道沿いに長く続く。私は途中ちょいと列から外れ、道の右手にある菩提院の大御堂の前へと寄り道をする。中に入ることは出来ないから、その門前から内部をぱち…

山辺の道1日旅行・・・1

5月9日はここのところこの季節に恒例となっている萬葉学会の1日旅行。萬葉学会とは 萬葉学会は、萬葉集とそれに関連する各分野の研究を目的とした学会です。研究者はもちろん、萬葉集を愛好される方ならどなたでも、会員になることができます。 との趣旨で運…

我が心 焼くも我なり

さし焼かむ 小屋の醜屋(しこや)に かき棄てむ 破れ薦(こも)敷きて うち折らむ 醜(しこ)の醜手 さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも 焼き捨ててしまいたいような汚らしい…

山辺の道・・・大鳥の羽がひの山

かつて長々と書き連ねた山辺の道と題したシリーズも昨年の1月の長岳寺についての一文を最後に途絶えている。これらの記事は一つにまとめ、上のメニュー(大和逍遙>山辺の道)から見るこことが出来るようにしているが、あまりにも間を置きすぎたため書いてき…

昼は咲き 夜は恋ひ寝る

最近、とんと更新のペースが鈍り、週一回の更新が精一杯になっている。特に忙しいだとか、体調が悪いだとかの事情は一切ない。すべて我が怠惰なる精神のなせる業である。まあ、このしがないブログが更新されようとされまいと世の中にいささかの影響もあるま…

肩のまよひは 誰か取り見む

今年行く 新島守が 麻衣(アサゴロモ)肩のまよひは 誰か取り見む 今年出かけて行く新しい島守の麻の衣の形の部分のほつれを誰が取り繕ってあげるのだろうか。 作者未詳・万葉集巻七・1265 私が大学に入って間もない頃だ。上代文学に興味のあった私は、先輩に勧め…

持統天皇六年 伊勢行幸

先ほど、私の別に運営するブログ「万葉歌僻読」というブログに あみの浦に 船乗りすらむ 娘子(ヲトメ)らが玉裳の裾に潮満つらむか 今頃あみの浦で船遊びをしているであろう乙女たちの美しい裳の裾に潮が満ちていりことであろうか・・・ 柿本人麻呂・万葉集…

真福寺本古事記を見る

最近、すっかり怠け癖がついてブログの更新のペースがすっかりと落ちてしまった。そのせいで報告が遅れてしまったのだが。先週の日曜日私は昼過ぎに奈良国立博物館に車を走らせていた。目的はこれ・・・ 「古事記の歩んできた道ー古事記撰録一三〇〇年ー」と…

壬申の乱・・・僻読

天智天皇の10年(671)9月、天智天皇は病に倒れた。10月、いよいよ病篤く、再起の望みの絶たれた天皇は、その革新事業を共に歩んだ弟大海人皇子を枕元に呼び、後事を託した。しかし、大海人は丁重にそれを辞し、皇后倭姫を天皇の位につけ、天智の皇子、大友…

大伴家持と藤原久須麻呂と・・・下

・・・が、この歌群について私が抱いている興味はそこにあるのではない。ならば、私の関心の中心がどこにあるのか・・・ と、私は前回の記事を結んだ。となれば、今回の記事はその関心の中心について私は述べなければならない。 万葉集中を見渡すに、男から…

大伴家持と藤原久須麻呂と・・・上

万葉集の巻の四の末尾に、ここ数年常に気にかかっている歌群がある。この国最古の歌集である万葉集を、おそらくは今我々が見る姿に近いものへと仕立て上げた歌人大伴家持と、平城の御代の中期から末期にかけて権勢を誇った『恵美押勝』こと藤原仲麻呂の子、…

月西渡

「月西渡」・・・ こんなふうに書かれていても多くの方は「?」とお思いになるであろう。 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 と書けばどうであろう?・・・ 実は・・・ひらがなのなかった時代・・・万葉集のその時代、柿本人麻呂の 東の野にかぎろひの立つ見…

続磐余の池・・・大津皇子辞世をめぐって

先日の記事を受けて、私は早速現地へと向かった。この週末のことである。17日土曜日、車を走らせること10分、目的の地には近づいたが、この日は新聞にあったとおり発掘担当者からの現地説明会が行われており、周囲は一切の駐車禁止。近辺に都合のよい駐車ス…

この夕べ 降り来る雨は 彦星の 早漕ぐ舟の 櫂の散りかも

今日は2011年7月7日・・・そう、七夕さんだ・・・などと、改めて言わずとも、それは皆さんがよくご存じに違いない。ただ、こういった行事は本来旧暦で始まったもの。それが故に、遥かなる天空で年に一度だけ認められている年に一度の逢瀬のこの晩、今年も例…