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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

二つの校歌(3月11日によせて)

松風は窓ににおい白き渚鴎光る。 ああ、我らここに集いて瞳清く英知磨かん・・・ これは私が卒業した鳴瀬第2中学校の校歌である。この校歌がもう歌われることのなくなったものであることは、ちょうど1年前の記事にて皆さんにご説明をした。 5年前の今日、あ…

帰郷の記・・・野蒜駅

我が郷里で、全国的に名の知られた民謡に斎太郎節がある。この斎太郎節と遠島甚句を合わせて歌えば大漁歌い込みとなるのだが、その斎太郎節に「まつしま(松島)~の~ さ~よ~ず~い~がんじ~(瑞巌寺)ほ~ど~の~ て~ら~(寺)も な~い~と~え~」…

「雲の墓標」と「春の城」

8月の始めであったか、1つの訃報を新聞で目にした。小説家阿川弘之氏の逝去を知らせるものであった。 海軍体験を通して戦争を描いた「暗い波濤」や「山本五十六」などの作品で知られる作家の阿川弘之さんが3日、老衰のため東京都内の病院で死去した。94歳…

神保町に行く・・・

先日はついつい感情的になって、多くの方々の顰蹙を招きかねないことを書いてしまったので、今回はごくごく穏やかな内容を・・・若いころ・・・そう、まだ私が学生であった頃、或いは職についてほんの2,3年ぐらいの頃の事。私はしばしば東京は神田神保町の…

濁れる酒を・・・

験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし 万葉集巻三・338 大伴旅人の一首である。夕食の際には、常には清酒を燗もつけずに飲んでいる私だが、こう寒い日が続くとそうはいかない。熱燗とはいわないまでも、人肌よりもやや熱めの燗でお気に…

室生寺に行く・・・下

急な石段・・・鎧坂を上り詰めた先に見えてくる端正な寄せ棟造り、柿葺きの建物が金堂である。 桁行5間、梁間4間の正堂に、梁間1間の礼堂がとして付いている。このお堂は段差のある地盤に建っており、礼堂の部分は斜面に張り出し、床下の長い柱で支えられて…

田原の里へ・・・二つの御陵

太安万侶の墓より望む田原の里である。茶畑と、稲田のほかは何も視野に入ってこない、そんな静かな山里である。時折訪れるハイカーのほかは、里人以外の姿はあまり見かけない・・・無論、この里の主要道である県道47号線・80号線には、ときおり自動車が走り…

田原の里へ・・・太安万侶の墓

峠の茶屋にて昼食を終えた私たちはこの日の目的地へと向かう。石切の峠もその頂点を越えているから、あとは緩やかな下りをゆるゆると歩みを進めるのみだ。距離にして4㎞弱。時間は1時間もかからないほどの場所に太安万侶の墓はある。 狭い山あいの道を歩いて…

田原の里へ・・・滝坂の道(下)

いよいよ滝坂の道は後半に差し掛かる。正確な定義は知らないが、ここから地獄谷を越えて石切峠を越えるあたりまでが滝坂の道と考えて大過はないかと思う。朝日観音から200m程能登川をさかのぼると道は二手に分かれる。その分かれたところに、旅人を優しく迎…

田原の里へ・・・滝坂の道(上)

小説の神様が「暗夜行路」を執筆したという旧居をあとにして私たちは東へ・・・春日山と高円山の谷間に向かい東に歩みを進める。道は何時しか薄暗い木立の中に入る。そして道はその木立の中へと延々と続いている。 柳生街道に入ったのだ。 柳生街道01 posted…

田原の里へ・・・文豪の住処

春日大社若宮を後に、私たちはその南に広がる鬱蒼とした木立の中に延びる古径に分け入った。その先にあるのは高畑の町。かつては春日大社の禰宜たちが多く暮らしていたという土地だ。毎日、禰宜たちはこの道を抜けて春日大社へと通った故「禰宜道」というら…

ナルワントイヤナヤ

とあるメロディーが、最近頭について離れない歌がある。どうかすると、知らず知らずのうちに口ずさんでしまう。 ナルワントイヤナヤホーイヤホー ナルワントイヤナヤホーハイヤン ハイナルアントイヤナヤホー なにやら怪しげな呪文のような歌である。 もちろ…

肩のまよひは 誰か取り見む

今年行く 新島守が 麻衣(アサゴロモ)肩のまよひは 誰か取り見む 今年出かけて行く新しい島守の麻の衣の形の部分のほつれを誰が取り繕ってあげるのだろうか。 作者未詳・万葉集巻七・1265 私が大学に入って間もない頃だ。上代文学に興味のあった私は、先輩に勧め…

「エジプトダンス」のことなど

私の卒業した鳴瀬町立(現東松島市立)鳴瀬第二中学校は一昨年の3月のあの日、いつもならその学舎を優しく見守っている太平洋の、予期せぬ昏く冷たいせり上がりによってことごとく破壊された。 もはや学校として機能しないこの学舎に、その後二度と子供たち…

はじめてのビーフステーキ

郷里にいたころ、私の住む町には肉屋がなかった。それどころか八百屋も魚屋もない。近所にあったのはよろずやさんが2軒と酒屋と豆腐や。したがって、日々の食事に必要な生鮮食品は、毎日昼ごろ軽トラでやってくる行商の魚屋さんと、2日に一度やってくる2トン…

思い出す味・・・「かく」?

前回に引き続き、食べ物にまつわる思い出を一つ。なにしろ30年以上も前の思い出でもあり記憶がすこぶる怪しいが、出来る限りの正確を期してみたいと思う。 水ようかんの吸い物・・・などと言ったら、きっと多くの方が「そんな気持ちの悪いものはこの世に存在…

思い出す味・・・「紅ばら」の釜揚げうどん

丸亀製粉なる讃岐うどん屋があちらこちらで目につく。私の住む大和にもここ数年で両手の指の数だけの店がオープンした。調べてみると全国に662店を誇るチェーンらしく、昼時はいつも多くの客で賑わっている。私は本場讃岐のうどんをご当地で食した経験がない…

思い出す味・・・鯨肉

こんなことを書くと一部の方からは手厳しいご批判を受けそうな気もするが・・・時々、鯨が食べたくなる。 私の郷里では、東日本最大の捕鯨基地鮎川が近いせいもあって、鯨を食べることはごく日常的なことであった。鯨食自体はこの国の普遍的な文化であり、我…

ある留学生のこと

かなり以前・・・そう、ブログを始めたばかりの頃に書いたことの焼き直しを一つ。 それは今から20年以上も前のとある奈良県の高校でのことだ。当時はやり始めた国際交流に力を入れていたその高校は、毎年英語圏の国、非英語圏の国からそれぞれ一人ずつを長期…

えんずのわり

もうじきあの日から1年が経とうとしている。以前にも紹介したように私が生まれ育った町は今人影一つない・・・ 東松島市復興計画案によれば、私の家のあった「新町」地区は集団移転の対象地区になり、これから先その場所はその跡地を利用するべきか検討の対…

コーク・ハイ

ふと懐かしい名前の飲み物を思い出した・・・ コーク・ハイだ。 私とほぼ同じ年代の、そしてアルコールを嗜むことが常の方であるならば、おそらく若い頃に一度や二度は口にしたはずである。それがどんな飲み物であるか、今年52になる私よりも余程年長の方か…

ああ宮城県

私が中学生の頃、郷里宮城県で一世を風靡した深夜のラジオ番組があった。 その名は「ジャンボリクエストAM0(エーエムオー)」。宮城のローカル放送局、東北放送の製作によるこの番組は、毎週の日曜日、深夜0時にこの番組はスタートしていた。次の日は月曜日。…

思い出す味・・・ライオンプールのきつねうどん

蕎麦についての思い出を二つほど続けてお読みいただいた。となれば、次はうどんについてお話ししなければならないであろう。 子供の頃、我が家でうどんといえば、みなさんがご想像になるものとはかなり異質のものであった。具は椎茸・牛蒡・人参・油揚げを細…

思い出す味・・・蕎麦その2

写真はこれから書こうとする内容とはさしてかかわりはないが、全くの無関係というわけでもない。赤蕎麦の花だ。 前回の記事は「2軒ほど思い出に残る蕎麦屋がある。そんな名の通った店ではない・・・」との書き出しで始まり、そのうちの一つを紹介したところ…

思い出す味・・・蕎麦その1

2軒ほど思い出に残る蕎麦屋がある。そんな名の通った店ではない・・・ 一つ目は私が蕎麦なる食べ物を意識し始めるきっかけとなった、そんな体験をした蕎麦屋である。 あれは確か小学校の3年生の時のことである。ある日、私は激しい歯痛に襲われた。かなり前…

思い出す味・・・石巻「天下一」

休日の昼時・・・外出中などにちょっと小腹がすいて腹を満たしたいと思う時、あなたならどんなお店にお入りになるか? 私の場合、齢、50も過ぎて少々胃腸も衰えてきたせいか、最近はそばだうどんだなどという具合になるが、ちょっと前までこんな時はラーメン…

こどもの頃のこと・・・釣りのことなど

こどもの頃の話をしよう・・・ これまで縷々述べ来たった通り、私が生まれ育ったのは宮城県東松島市の野蒜というところ。当時は桃生郡鳴瀬町野蒜といった。海辺の寒村で、宮城県のやや北部を東西に流れる鳴瀬川の河口部だ。隣の町は松島、日本三景で知られる…

私の読書遍歴・・・「日本の歴史」中央公論社

東北の海辺の一寒村に生まれ育った私が大和の地に出て来て、すでに30年を越えている。それどころかあと数年たてば大和で過ごした日々が、郷里である宮城で暮らした年月に倍するようなところまできた。 ・・・いったい自分は何に惹かれてこの地にやってきたの…

巡りあわせ

昨日、一昨日とセンター入試。 受験生の皆さん、ご苦労さんと言ったところか。 寒いわ、雪が降るわで、さぞ大変であったことと思う。 思い返せば32年前。 当時は共通一次と呼ばれたこの入試・・・その元年。 私は高校三年生・・・受験生の一人だった。 も…

私はいったい何になりたかったのだろうか。

私はいったい何になりたかったのだろうか。ふと思い返してみる。 ・・・プロ野球選手 テレビで「巨人の星」を見ては、壁に向かってボールを投げ続けた。 ・・・石屋 父がそうだった。そして幼かった私は単純に、父のようになりたいと思っていた。 ・・・英語…