大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

文学のこと

万葉の桜井・・・高家

高屋 舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手(ころもて)の 高屋(たかや)の上に たなびくまでに (ぬば玉の)夜霧がすっかり立ちこめた。(衣手の)遠く高屋のあたりの上を覆いつくしてたなびくほどに。 (九・1706) 高屋(たかや) …

万葉の桜井・・・忍坂・倉橋

忍坂山(おさかやま) [caption id="attachment_3525" align="alignnone" width="400"] 忍坂より見た外鎌山[/caption] 桜井市忍阪の東北方の、外鎌山(高さ293m)のこと。 北の三輪山に対して泊瀬川を挟んで南に聳える。その南麓の斜面に舒明天皇陵、鏡王女の…

万葉の桜井・・・磐余

磐余いはれ 「天ノ香久山の東北麓にかつて存在した磐余池付近から西方に及ぶ地域。大和の平野部から宇陀の山間部への入り口に位置する。」とは日本地名大辞典(角川出版。以下、地名辞典と略す)の説明。他の多くの説明によれば、奈良県桜井市南西部の池の内…

万葉の桜井・・・海石榴市

一昨年だったか、人様の前で桜井の万葉というテーマで話をしなければならぬ羽目になり、大慌てでその資料を作った。上のメニューにある桜井の万葉というボタンに収められたいくつかのページはその時に作ったものである。が、大慌てで作ったがゆえ(なにせお…

味酒 三輪の御山の酒祭り・・・前置き

三輪の枕詞は「味酒うまざけ」である。「みわ」なる語は萬葉集巻十三の3229に 斎串いぐし立て みわ据ゑ奉る 祝部はふりへが うずの玉かげ見ればともしも の傍線部「みわ」が原文では「神酒」と表記されている例や、和名抄にも「神酒」に「美和みわ」との訓み…

大伴旅人と藤原房前・・・捕逸

5回にわたって奈良朝前期における藤原氏と大伴氏の関係について、思うところをくだくだしいまでに述べてきた。ここまでお付き合い願えた方には本当に何とお礼を申し上げて良いか分からないが、そこには従来いわれているような新勢力と旧勢力との反目や排除し…

大伴旅人と藤原房前・・・5

長く際限のない妄想にお付き合いいただいている。はじめは2回ぐらいで終わってしまう予定であったが、書くほどに妄想は広がり皆さんにはダラダラとした戯言にお付き合いいただいている。それもあと2回ほどで終わりそうになってきた。またかとお思いであろう…

大伴旅人と藤原房前・・・4

鎌足に続いて藤原氏で名をなすのはご存じ藤原不比等である。不比等は鎌足の第2子。11歳の時、父鎌足が死去し、有力な後ろ盾を持たずに出仕した不比等は下級官人からのスタートを余儀なくされた。阿閉皇女(後の元明天皇)付き女官で持統末年頃から不比等と婚…

大伴旅人と藤原房前・・・3

前回は、この度私が話題として取り上げている藤原氏と大伴氏の関係について、さらには大伴旅人の筑紫下向の意味について林田正男氏の御論文を援用しつつ、この件に関して奈良時代前期の政治的状況について、従来いわれているような長屋王を中心とした旧勢力…

大伴旅人と藤原房前・・・1

前回の記事では時の大宰帥だざいのそち(大宰府長官)大伴旅人と中衛府大将藤原房前の間に交わされた心温まる贈答を紹介した。そしてその末尾に、この贈答にいささかの疑念が私にはあり、以降の記事においてこの疑念に対しての私なりの理解を開陳してみたい…

大伴淡等謹状  梧桐日本琴一面

かなり以前・・・万葉短歌僻読が虚見津という名で更新されていた頃、以下のような記事を載せ、天平の初年、大伴旅人と藤原房前の間で行われた、心温まる交流を紹介したことがある。この記事は虚見津を改訂する形で万葉短歌僻読というブログを立ち上げた時に…

元興寺の鬼

昨日は彼岸の中日、元興寺をお参りした話をした。もうこの時期に元興寺を参るのは3年目になる(むろん、そこには季節の花々を眺めるという目的があるのだが・・・)。そんな時いつもこの寺で「?」と思っていたのが、これらの像である。 お寺の境内に・・・…

馬と鹿の話

法隆寺についての報告を数日続けている。その終了まであと二日はかかるかと思うのだが、今日は趣向を変えてみたい。というより、今日はどうしても司馬遷のこの一文を皆さんにお読みいただきたくて仕方ない。 趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。…

暁と 夜鴉鳴けど

暁あかときと 夜鴉よがらす鳴けど この森の 木末こぬれの上は いまだ静けし もう暁だよ、と夜鴉が鳴くので、しぶしぶ愛しいあのこの家を出てきたが、振り返り見れば裏山の森の梢の鳥たちは、まだ静かなままじゃあないか。 万葉集・巻七・1263 東の空が白々と…

9月1日に思う・・・6

もう一日だけ重苦しい話にお付き合いいただく・・・話題は再び折口信夫に戻る。 先に述べたように関東大震災の発生を折口信夫が知ったのは、沖縄への調査旅行の帰途である。神戸からの救護船に乗った折口は、3日に横浜港に到着。すぐさま深川の自宅へと向か…

「雲の墓標」と「春の城」

8月の始めであったか、1つの訃報を新聞で目にした。小説家阿川弘之氏の逝去を知らせるものであった。 海軍体験を通して戦争を描いた「暗い波濤」や「山本五十六」などの作品で知られる作家の阿川弘之さんが3日、老衰のため東京都内の病院で死去した。94歳…

イノウエミチヤス?

井上通泰・・・ちょいと聞き慣れない名前かと思う。明治期に活躍した桂園派歌人で国文学者でもあり眼科医でもあった人だ。正しくは「ミチヤス」とその名を読むべきなのであろうが、一般には「ツウタイ」と読むことが多い。 父は儒者松岡操で姫路元塩町に生れ…

少々アカデミックに

6月から7月にかけて、少々アカデミックな時間を過ごした。この国の古代に関わってお二人の研究者のお話を聞くことが出来た。その二つのお話とは、 「道が語る古代史ー古代道路の謎」 近江俊秀 フツノミタマとフツヌシの神─石上・香取・国譲り神話をからめて─…

山辺の道1日旅行・・・11

5月9日に行われた万葉学会主催の徒歩旅行についてのレポートがまだ終わらない。開催されてからもうふた月もたとうというのだから、そろそろいい加減にしなければならないとは思うのだが遅々として進まない。あと少しの所まで来ているのだが・・・まあ、なん…

山辺の道1日旅行・・・11

5月9日に行われた万葉学会主催の徒歩旅行についてのレポートがまだ終わらない。開催されてからもうふた月もたとうというのだから、そろそろいい加減にしなければならないとは思うのだが遅々として進まない。あと少しの所まで来ているのだが・・・まあ、なん…

山辺の道1日旅行・・・10

昼食をとる予定の白毫寺は宅春日神社から徒歩10分あまり。静かな静かな白毫寺町の街並みを東へと向かった先にある。道の突き当りに幅の狭いコンクリートの階段がある。そしてそれは途中から古びた石段に変わり、そこを上り詰めれば百毫寺である。 そう楽では…

神は馳す藤原京

これは現在大和三山の一つ、天の香具山にある洛陽牡丹園の横に設置されている石碑である。 洛陽牡丹園の由来は、橿原市にかつて位置していた藤原京が、長安や洛陽をモデルとして造営されたという説(「周礼」にある理想の都がその源流にあるとの説が近年唱え…

「手紙ー筆先にこめた想いー」・・・再び

去年の10月のことであるが、本ブログにしばしばおいで下さっている玉村の源さんが次のような記事を書いていらっしゃった。 天理大学の宣伝3件 そしてその翌月、その「3件」の冒頭にご紹介なさっていた「手 紙 -筆先にこめた想い-」と題された展示に関し…

我が心 焼くも我なり

さし焼かむ 小屋の醜屋(しこや)に かき棄てむ 破れ薦(こも)敷きて うち折らむ 醜(しこ)の醜手 さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも 焼き捨ててしまいたいような汚らしい…

余は如何にして三友亭主人と名のりし乎

冬になるとめっきり散歩をすることもなくなり、加えてお得意の寺社仏閣めぐりも間遠になってしまう。寒さゆえのことだが、そんな営みをブログネタとする私としては、冬場はネタ不足に苦しむ季節となる。そんな時期にこそ、少々調べてみたい、あるいは考えて…

続 手紙ー筆先に込めた想いー

まずはご存知、漱石先生。 ・・・大学で語学試験の嘱托する、僕が多忙だから断はる。其間に何等の文句は入らない。もしそれが僕の一身上の不利益になったり、英文科の不利益になれば、僕のわるいのぢやない。大学がわるいのだ。語学試験なんか多忙で困つてる…

手 紙 -筆先にこめた想い-

先週末、再び我が母校の図書館を訪れた。ここのところよく足を運んでいる。9月の下旬には薄氷堂さんといっしょに、氏のあこがれだというこの図書館の雰囲気を味わいに・・・まだまだ暑い盛りだった故、休憩室で冷たいものを飲みながらゆっくりした。ことの詳…

山辺の道・・・大鳥の羽がひの山

かつて長々と書き連ねた山辺の道と題したシリーズも昨年の1月の長岳寺についての一文を最後に途絶えている。これらの記事は一つにまとめ、上のメニュー(大和逍遙>山辺の道)から見るこことが出来るようにしているが、あまりにも間を置きすぎたため書いてき…

田原の里へ・・・二つの御陵

太安万侶の墓より望む田原の里である。茶畑と、稲田のほかは何も視野に入ってこない、そんな静かな山里である。時折訪れるハイカーのほかは、里人以外の姿はあまり見かけない・・・無論、この里の主要道である県道47号線・80号線には、ときおり自動車が走り…

田原の里へ・・・太安万侶の墓

峠の茶屋にて昼食を終えた私たちはこの日の目的地へと向かう。石切の峠もその頂点を越えているから、あとは緩やかな下りをゆるゆると歩みを進めるのみだ。距離にして4㎞弱。時間は1時間もかからないほどの場所に太安万侶の墓はある。 狭い山あいの道を歩いて…

田原の里へ・・・文豪の住処

春日大社若宮を後に、私たちはその南に広がる鬱蒼とした木立の中に延びる古径に分け入った。その先にあるのは高畑の町。かつては春日大社の禰宜たちが多く暮らしていたという土地だ。毎日、禰宜たちはこの道を抜けて春日大社へと通った故「禰宜道」というら…

三輪山セミナーに行く

前回の記事で、「田原の里へ」なんていう文章を書き始め、しばらくは30数年前のとある徒歩旅行の思い出を記すつもりであったが、今日は早速、道草を・・・ 大神神社には大礼記念館という催事会場があり、そこでは結婚式の披露宴をはじめとして、様々な催しが…

この秋の楽しみ

暑い暑いとは言いながら、雨ばかりでお天道さんの御顔をあまり拝見することもなく8月が終わりつつある。暦の上でも立秋を迎えてから半月ほどたっているわけだから、もう立派な秋である。一昔前だったら、昼の暑さはともかくとして、夜に窓から吹き込んでくる…

近況報告をば一つ

最近更新が滞っている。 体調を崩しているわけではない。ましてやインフルエンザ等ではない。いたって健康である。ならば、仕事の方が忙しいのかといえばそうでもない。第一、私がそんなに一生懸命仕事をするはずがない。 全てはこいつのせいである。 万葉集…

「桜井の万葉」について

もうお気づきの方がいらっしゃるかとも思うが、このページの上の方にあるメニューに「桜井の万葉」という新たなテーマが加わった。私の地元、奈良県桜井市の地名が、歌中に詠みこまれている歌、題詞や左注あるかする歌をすべて網羅しようとの試みだ。 手元に…

降る雪は あはにな降りそ

但馬皇女(たじまのひめみこ)薨後穂積皇子(ほづみのみこ)冬日雪落遥望御墓悲傷流涕御作歌一首 降る雪は あはにな降りそ 吉隠(よなばり)の 猪飼(ゐかひ)の岡の 寒くあらまくに 降る雪よ、そんなに降ってくれるな。吉隠(よなばり)の猪飼ゐかひの岡は寒いだろう…

顔よき子らも、 頼まずなりぬ

今日は年末恒例の人間ドッグ。昨夜は酒も飲まず、午後8時以降は固形物の一切を入れず我慢の良い子。朝は早くから朝食もとらずに電車に乗り込み病院へ・・・。まだ簡易の結果ながら、我慢の甲斐もあって少々(?)太りすぎという点を除けば、まずまず良好。帰…

味酒 三輪の山

三輪村(現在の桜井市三輪)の東、初瀬村の西、孤峰峻抜にして林木青葱たり。眺望群山に異なり、春日の三笠山と相比すべし。 とは、この国の歴史地理学の先駆けを成すとも言うべき吉田東伍の三輪山評である。高等教育を受けることなく、ほぼ独学で学んだ彼は、…

白山神社(桜井市・黒崎)

毎朝、職場のある奈良市都祁に向かう途中、いつも気になって仕方のない御社がある。国道165号線を私の住む三輪から東に進むこと4㎞弱、黒崎の地にその御社はある。名は白山神社。全国いたるところにある名のこの神社は、 加賀一の宮、石川県白山市に鎮座する…

昼は咲き 夜は恋ひ寝る

最近、とんと更新のペースが鈍り、週一回の更新が精一杯になっている。特に忙しいだとか、体調が悪いだとかの事情は一切ない。すべて我が怠惰なる精神のなせる業である。まあ、このしがないブログが更新されようとされまいと世の中にいささかの影響もあるま…

肩のまよひは 誰か取り見む

今年行く 新島守が 麻衣(アサゴロモ)肩のまよひは 誰か取り見む 今年出かけて行く新しい島守の麻の衣の形の部分のほつれを誰が取り繕ってあげるのだろうか。 作者未詳・万葉集巻七・1265 私が大学に入って間もない頃だ。上代文学に興味のあった私は、先輩に勧め…

持統天皇六年 伊勢行幸

先ほど、私の別に運営するブログ「万葉歌僻読」というブログに あみの浦に 船乗りすらむ 娘子(ヲトメ)らが玉裳の裾に潮満つらむか 今頃あみの浦で船遊びをしているであろう乙女たちの美しい裳の裾に潮が満ちていりことであろうか・・・ 柿本人麻呂・万葉集…

空が青いから・・・

この週末はちょっと風変わりな場所に出かけた。その場所にたどり着くとまず目に入るのは、その歴史の古さを感じさせる重厚な煉瓦造りの壁面である。 右を向いても 左をみても延々と赤みを帯びた褐色の壁は続いている。 はて・・・と何かお感じになられた方も…

真福寺本古事記を見る

最近、すっかり怠け癖がついてブログの更新のペースがすっかりと落ちてしまった。そのせいで報告が遅れてしまったのだが。先週の日曜日私は昼過ぎに奈良国立博物館に車を走らせていた。目的はこれ・・・ 「古事記の歩んできた道ー古事記撰録一三〇〇年ー」と…

壬申の乱・・・僻読

天智天皇の10年(671)9月、天智天皇は病に倒れた。10月、いよいよ病篤く、再起の望みの絶たれた天皇は、その革新事業を共に歩んだ弟大海人皇子を枕元に呼び、後事を託した。しかし、大海人は丁重にそれを辞し、皇后倭姫を天皇の位につけ、天智の皇子、大友…

二つの新聞社のその日・・・河北新報と石巻日日新聞

3月に放映予定の二つのテレビドラマがある。 河北新報のいちばん長い日 6枚の壁新聞 である。いずれも3.11にまつわる内容のドラマである。どちらも同名の書籍が昨年出版され、話題を呼んだのでご記憶のある方もいらっしゃるだろう。 河北新報は東北随一…

大伴家持と藤原久須麻呂と・・・下

・・・が、この歌群について私が抱いている興味はそこにあるのではない。ならば、私の関心の中心がどこにあるのか・・・ と、私は前回の記事を結んだ。となれば、今回の記事はその関心の中心について私は述べなければならない。 万葉集中を見渡すに、男から…

大伴家持と藤原久須麻呂と・・・上

万葉集の巻の四の末尾に、ここ数年常に気にかかっている歌群がある。この国最古の歌集である万葉集を、おそらくは今我々が見る姿に近いものへと仕立て上げた歌人大伴家持と、平城の御代の中期から末期にかけて権勢を誇った『恵美押勝』こと藤原仲麻呂の子、…

「瓦礫の中から言葉を」私の<死者へ>・・・辺見庸

あの日以降・・・そう、2011・3・11以降、私はしばらくの間、何も書けなくなっていた。そして、しばらくして・・・私はこのブログに我が思いを託そうとした。けれども書けば書くほど自分の思いと表現されている内容とが乖離して行くことに気づき、い…

月西渡

「月西渡」・・・ こんなふうに書かれていても多くの方は「?」とお思いになるであろう。 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 と書けばどうであろう?・・・ 実は・・・ひらがなのなかった時代・・・万葉集のその時代、柿本人麻呂の 東の野にかぎろひの立つ見…