大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

11/11/11・・・あれから8カ月

今日はなんでも「1」という数字がいくつも重なる日らしく、報道によれば日本だけではなく、いろんな国がこの事実に浮き立っているようだが、それと同時にあれからもう8カ月もたったのかという沈痛な思いに包まれた人もこの国には少なくはないと思う。

そう・・・あの3月11日から8カ月がたった。

そんな今日、奇しくもここ数カ月探し求めていた映像をやっとYootubeで見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=Rd4UKURcW90&feature=player_embedded#!

私が生まれ、そして育った町・・・東松島市鳴瀬町野蒜下沼、俗に新町と呼ばれている地域が昏く冷たい波濤に飲み込まれてゆく映像だ。まずは上のリンクをクリックして実際の映像をご覧いただきたい。2分とちょっとの映像であるがわが町が崩れ落ちてゆくさまを伝えているのは初めの1分ほどだ。

まずはじめに見える激しく波立つ海・・・実はここは海ではない。川なのだ。鳴瀬川という。日ごろ、この川の水面は満潮の時でもこの映像における水面の8m下にある。当たり前のことではあるが、川の水は上から下へと静かに流れていた・・・それが・・・

そしてこの映像のカメラは川面から人の住む陸地へと移る。映像からも見て取れるように結構人家の立ちこんでいる場所だ。ざっと1000を越える方が住んでおられただろうか・・・

波は鳴瀬川の高い堤防を軽々と越え流れ込む。上の映像からいえば、左から右へと向かう流れがそれだ。そしてずっと向こうからこちらに向かって激しい勢いで迫ってくる流れがある。およそ500m先の海岸線からこれまた7,8mはある堤防を、そして防風のための松林を乗り越えて押し寄せてきた波濤だ。

この波は今この映像を映すカメラを持った人の足元にも及んでいる。映像が途切れるのはそのためだ。彼は必死になって避難所になっている新町公民館の二階に駆け込んだ。この映像が残っているの彼が生存できた事実を示す。そして、私の叔父と叔母も同じこの公民館で冷たい水に数時間耐えながらも何とか生き抜いた。

この映像、あの日の数日後、ほんの数度流されただけでとんと見ることがなくなっていた。ほかの地域の様子はその後も何度も何度も繰り返しテレビジョンの画面に映し出されていたが、この映像だけは不思議とあの日の数日あとに数回放送されただけであった。

私とて好んで見たいと思うような映像ではない。見れば見るほど・・・何とも言えぬ恐怖と悲哀とに押しつぶされそうになる。

そうさ・・・誰が好き好んで自分の生まれ育った町が消え去って行く光景を見たいと思うものか・・・

けれども・・・記憶にはとどめねばならぬ。そんな思い出私は思いつくたびにこの映像を探し続けた。そしてやっと今日・・・