大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

私の通勤路・・・「私の木」

纒向(マキムク)石塚古墳という古墳がある。所在地は奈良県桜井市大田石塚。私の通勤路はこのすぐそばをかすめる。纒向古墳群に属するこの古墳は、長く5世紀後半以降の円墳であろうと思われていたが、1997年の発掘調査の際に周壕を備えた前方後円墳であることが明らかになり、さらにその周壕部から掘り出された遺物から3世紀初頭の築造のとの推定がなされた(但し、これにはもう少し時代を新しいものと考える異説もあり確定はしていない。ただそれらの異説にしても3世紀の中葉は下らない。)

その規模は全長96メートル、後円部の東西は59m南北45m、前方部の長さは32メートル幅約34メートル。周濠の幅は約20mのこの墳丘の後円部の頂は太平洋戦争末期、高射砲を設置するために削り取られたという。

・・・と、やや詳しく今から1700年以上も前の権力者の奥津城について申し述べてみたが、今回の目的はそこにはない。先日も申し述べたように私は通勤の際、朝と夕とでは違う道を通っている。この古墳はその帰り道にあたる農道から20mほど離れ、水田の中にある。仕事の帰り道私はほぼ毎日のようにこの墳墓の中央に生えた古木を横目に見ながら家路を急いでいる。

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見事な古木である。一本の木に見えるが、近づくととりわけ太いものの横に、そう太くない一本が寄り添うように生えているのが分かる。

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遠目ゆえ・・・しかも私にがこういった知識が乏しいため、あんまり自信はないのだがおそらくはケヤキなのだろうかと思う。ここで私がこの話題の中心とするのはもちろん太い方である。

この古木の樹齢はいかばかりであろうか?・・・思わずそんなことを考えてしまう。

それは・・・200年や300年のものでないことは、私にも分かる。

ご覧の通り重量感は圧倒的だ。おそらくはこの木がかわいらしい幼木であった時分から、この木の上を通り過ぎていった歳月の重みがその源となっているのだろうか・・・木は多くの喜びも悲しみも見つめてきた。

この木が気になりだしたのは、そう、もう10年以上も前のことだ。と、ある夏の夕暮れ、私は故あって少なからぬ不安に打ちひしがれてこの木の横を通りかかった。7月も末のことゆえ午後7時を回ろうとしている時刻なのに日はまだ生駒山の上空に赤々とした光を放っていた。

何度も通ったことのある道、いつもは何も思わずに通り過ぎている場所なのだが、そのときは違っていた。南へと向かう私の心中に何か語りかけてくるものがいる。そしてその声なき声は私の走らせている車の右前方から聞こえて来るのを私は感じた。私は覚えずそちらを見やる。

夕暮れの赤々とした逆光の中に黒々と巨大なこの樹影が見えたのである。

もちろん古木は何も語りはしない。ただそこに根を張っているだけである。けれども私はその巨大な影を見た時、先ほどまでの不安が和らいだように思えた。「案ずることはない・・・」。そんなふうに思えてきたのである。

それ以来この木は「私の木」となった。仕事がうまく行き快調に車を飛ばしているときも、言い知れぬ倦怠感に包まれながらハンドルを操っているときも、私はこの場所を通りかかる時、ややその速度を緩め、視線をこの木に向ける。そして「ただいま」と、声には出さず語りかける。

この古木とそんな関係ができてから依然として木は何も語ってはくれない。ただ聳え立つのみである。

それでいいのだ。何も語ってくれぬとも私はこの「私の木」に毎日語り続けるのだ。