大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

山辺の道・・・穴師の里

檜原神社を後にして三輪山の縁に沿った道を歩く。林中の道は山の縁に従ってぐるりと東の方へと回り込み始める・・・と、ささやかな流れに沿ったやっと車が行き違うことができるほどの舗装された道にぶつかる。

歩いてきた方向に従って深い林の中へと入って行けば、そこは笠の里。大和の地では有名な蕎麦の産地である。

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けっこう険しい坂道を長く歩かなければならないが、秋にはご覧のように可憐な花が里全体をおおい、訪れる人の目を楽しませる・・・くわえて、この可憐な花々が結実した後に私たちの口腹を楽しませる、あのさわやかな香りを放つ細長いものを食べさせてくれるお店があり、それはそれで楽しみな里だ。

・・・が、今私たちは山の辺の道を北上中だ。蕎麦はちょいと我慢して、突き当たったささやかな流れの従い西へと向かう。

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今はかようにささやかな流れになってしまっているが、上古の昔は豊かな水量を誇っており、この谷間を過ぎたあたりからはいくつかの流れに分流していたらしい。そしてその豊かな流れは瀬戸内を通じて大陸へとつながっていた。

そう・・・この林間のささやかな流れこそが、かの考古学フアンの耳目を集めている纏向遺跡を育んだ巻向川である。(「纏向」「巻向」、いずれも「マキムク」と読む。現在一般的には「巻向」の文字を使うことが多いが遺跡名には「纏向」を使うのが一般的だ。)

万葉人にもなじみのあった川であったと見えて

巻向の 山辺響(トヨ)みて 行く水の 水沫(ミナハ)の如し 世の人われは
                          万葉集巻7・柿本人麻呂歌集

を初めとして数首歌われている。

また、この辺りのは穴師(アナシ)と呼ばれる地であることから、この川を穴師川と呼ぶこともあり万葉集でも、

穴師川 川波立ちぬ 巻向の 弓月が岳に 雲居立てるらし

                          万葉集巻7・柿本人麻呂歌集

と詠まれている。

道を川の流れに従って歩く事2,3分。穴師の里がある。ほんのささやかな集落でほどなく開けた場所に出る。

Photo0138この写真の範囲に1700年以上前栄えていたのが纏向の都である。纏向はこの巻向川の扇状地に開けた古代都市だったのだ。この場所に佇んだとき、今眼前にある近代的な建築を脳裏の中で取り払い、3世紀、この地に立ち並んでいた建築群を幻視してみるのも一興かと思う。

さて、ここでこれまで歩いてきた道を振り返ってみよう。

Photo0132三輪山がそのなだらかな姿を見せている。

山辺の道はここから三輪山の麓を離れ竜王連峰の麓を幾度も幾度もくねりながら石上の地へと北に向かい始める。