大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

思い出す味・・・蕎麦その1

2軒ほど思い出に残る蕎麦屋がある。そんな名の通った店ではない・・・

一つ目は私が蕎麦なる食べ物を意識し始めるきっかけとなった、そんな体験をした蕎麦屋である。

あれは確か小学校の3年生の時のことである。ある日、私は激しい歯痛に襲われた。かなり前から虫歯があり、しばしば痛むことがあっただが子供のこととて、歯医者に行くのが怖くて治療を受けるのを延ばし延ばしにしていた結果だ。

その日の痛みは尋常なものではなく、どうにも耐えきれなかった私は泣きに泣きとおした。それでも鎮痛剤やら何やらの甲斐あってその日の痛みは数時間で治まったのだが、この日の痛みにはさすがの私も観念し、翌日に歯医者に行くことを決意した。

そして・・・翌朝。

私の住む町は歯医者もないような小さな町であったので、30分ほど電車に揺られ石巻へと向かった。歯医者の名は確か「中里歯科」だったか・・・けっこう評判の歯医者だったと見え、かなり早く出かけたにもかかわらず順番はかなり後の方であった。待合室で待つこと3時間・・・あるいは4時間。やっと順番が巡ってきた。当時は無痛治療などというものは存在せず、歯医者は自らを鍛え上げる道場と言ってもよい場所であった。したがって、診察室に入ってからのことは語るに忍びない。ただ・・・声にはならない悲鳴を上げ続けたとしか・・・

治療が済み、診察室を出た私の頬には涙の跡が幾筋か残っていたはずだ。そして、治療後に残る鈍い痛みも私の表情にはあったのだろう。母はそんな私を気遣って「なんか食べて帰ろうか。」と優しく声を掛けた。 朝早くに出てきた故、空腹であったことは確かだ。けれども、未だに残る鈍い痛みは私に歯を使うとこを躊躇させた。母は即座に「蕎麦でも食べようか・・・。」と私を母の行きつけ(?)の蕎麦屋に連れて行ってくれた。

店は・・・「東京セルフ」という今でいえばスーパーマーケットふうの商店の一番奥に張り付くようにある立ち食いであった。店の名はどうだったか覚えていないが(たぶん店の名すらなかったように思う)、立ち食いのカウンターと、ベンチが二つならんで入るぐらいの粗末な店であった。

歯を使うのが億劫だった私は空腹が満たされさえすればよかったので、天ぷらや油揚げなんかはない方が良かった。季節は・・・冬も間近の11月半ば。温かいものがほしかった。したがって私が頼んだのはかけ蕎麦。当時の価格で40円也。

カウンターの向こうのおばちゃんは袋入りの蕎麦をひとつ・・・袋を破って取り出した後、グラグラと沸き立った湯の中に投入し、ほんの暫し。右の出にザル、左手に丼を持ったおばちゃんはさっとザルに蕎麦をすくい上げ、その下に丼を持って行く。ザルからは激しく湯がこぼれ丼に落ち、その湯にて丼は温められる。丼が温まったころには蕎麦は充分に湯切りされ、あとは丼の湯を捨ててそこにその蕎麦を入れるのみ・・・

出汁を注いで葱をぱらり・・・

まだ小学3年生だった私は熱過ぎる蕎麦を一気にすする…事はならず、まずは箸にて蕎麦をしゃくりあげ「ふうふう」と息を吹きかけそれから痛む歯を気にしながらおもむろにすする。温かい蕎麦が歯にも触れることなく喉元を通り過ぎる。それから出汁を一すすり。空腹だった私にはその温かい出汁が至上のもののように思えた。

今思えば・・・そんなにおいしいものだったとは思えない。いくら40年ほど前のこととしても40円とは安すぎる。けれども、その時の私には、そんな蕎麦がこの上なくうまいものに思えてならなかった。

それからはこの東京セルフの店中の壁に張り付くように営業している蕎麦屋が私のお気に入りとなった。なにか用向きがあって石巻に出かけた時、私は決まって母親にこの店のかけ蕎麦をねだった。

ある日・・・その日はよほど母親の懐具合が暖かかったのであろうか・・・いつもとは違う、石巻でもかなり老舗の有名な蕎麦屋に私は連れて行かれた。

母はなんでも好きなものをたのめという。それでも私がたのんだのは、やはりかけ蕎麦だった。母親はもっと高いものをたのめというが、私が食べたかったのはかけ蕎麦でしかなかった。

しばらくして注文したものが来る。普段から勝手知ったるかけ蕎麦とは何やら様子が違う。まずはその蕎麦の色からして違う。そしてその香り・・・出汁の香りも・・・

私はそれが気に食わなかった。

それでも、せっかくたのんだもの・・・食べないというわけにはいかない。一口蕎麦をすする・・・まずい(本当はうまかったのだろう)・・・そして出汁をすする・・・これまたまずい・・・

なんとか出汁だけは全部すすり終えたが、蕎麦はほとんど手を付けずじまいに終わってしまった。何ともまあ未熟な嗜好であったものだ。ようは自分の慣れ親しんだ味以外には受け付けなかったのだ。しかしながら、その時はそれが絶対だった・・・

この東京セルフなる店、それから6,7年たって私が高校に入って、毎日石巻に通うようになった頃にはもうすでに無くなっていたように記憶する。その値段からしても気が向けばいつでもこの蕎麦が食べられるようになったというのに・・・・

さて・・・もう一つの蕎麦屋は・・・

いや、今日は長くなり過ぎた。もう一つの店についてはまたいつか・・・・