大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

思い出す味・・・蕎麦その2

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写真はこれから書こうとする内容とはさしてかかわりはないが、全くの無関係というわけでもない。赤蕎麦の花だ。

前回の記事は「2軒ほど思い出に残る蕎麦屋がある。そんな名の通った店ではない・・・」との書き出しで始まり、そのうちの一つを紹介したところで終わった。今日はもう一つのそれを紹介しようと思っているのだが・・・今日紹介しようとしているその店は「店」と呼ぶのすらはばかられるような・・・そんな店だ。

高校を卒業し、大学を大和の地に選んだ私は18の歳の雪の降る朝(確か4月2日)、故郷を後にして千と数百年以上も前の都へと「上京」した。ほどなく学生生活が始まる。昼食はもちろん学食だ。一番安いメニューは「飯」を覗いては「キツネうどん」。90円也。

あまり豊かではない学生生活を過ごした私にとってこの「キツネうどん」は4年間を通しての「いつものやつ」になった。昆布と鰹の出汁の香りが何とも言えない・・・そして、そこまで見えるような薄いだし汁は甘い「キツネ」の味が相まって何とも言えない甘さがあって、若い私の味覚を虜にした。関西風の薄口のだし汁が何の苦も無く私の馴染みとなった。

それからというもの、大和の地やたまに出る大阪で食べるうどんの味に慣れ親しんでいった私は久しく蕎麦のことを忘れていた。

大和に出て何年目の冬だっただろうか・・・

その時の記憶と、東北新幹線の記憶が重なっているのでおそらくは大学の3年いこうのことであろう。私は故郷へと向かっていた。年末のことである。

大和の下宿のあった町から近鉄電車に乗る。京都の駅で新幹線に乗り換え東京に着いたころには昼前になる。せっかく出てきた東京だ、素通りするのはもったいない。上野から御徒町の辺りを散歩する・・・アメ横をふらふらと・・・

当時東北新幹線はまだ東京はおろか上野にさへ来てはいなかった。上野から連絡用の電車に乗り大宮まで。そこで新幹線に乗り換える。席はとっていない、自由席だ。私は即座にビッフェに駆け込む。売店で崎陽軒の焼売をひと箱購入し、反対側の窓に向いたスタンドに立ちこれまた売店で買ったビールを飲む。

窓からは暮れなずむ奥羽山脈が見えた。大宮を出たころには青かった空が郡山を過ぎたころには次第に赤みを帯び、仙台に近づくころ蔵王の峰々は黒々とした姿を見せていた。

仙台の駅に降りる・・・空気が冷たい。

新幹線のホームから仙石線のホームへと私は急いだ。我が故郷「野蒜」を通過する「石巻行き」は1時間に一本しかない。一つ乗り過ごせばうすら寒いホームで1時間も待たねばならなくなる。ボストンバッグを片手に長い地下道を走り、そしてこれまた長い階段を駆け上った。

石巻行き」は・・・

約20分後の出発だった。ちょうど小腹も空いていたのでホームの立ち食いで蕎麦でも食べようという気になった。なぜかうどんではなかった。

私がこうやって帰郷するときは結構根を詰めてアルバイトをした後なので懐はあったかいことが多かった。この時も事情は変わらない。贅沢にも私がたのんだは天ぷらそば。250円ぐらいだったかな・・・

最近見慣れていたそこまで透き通るようなだし汁ではない。黒くしっかりと色のついただし汁だ。一口汁をすする・・・ああ、これだ・・・

長らく忘れていた感覚がよみがえった。濃口醤油のコクと甘み、これは関西でのうどんの出汁に使われる薄口醤油には決してありえない。そしてそのコクは天ぷらからしみ出る油と相まっていっそう甘みを増す。そしてその上に盛られたたっぷりの葱が全体に甘い方向に流れがちになる味を引き締める・・・・

私は・・・やはり、東北の人間なのだ・・・私は最後までその汁を飲み干し呟いた・・・