大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

思い出す味・・・ライオンプールのきつねうどん

蕎麦についての思い出を二つほど続けてお読みいただいた。となれば、次はうどんについてお話ししなければならないであろう。

子供の頃、我が家でうどんといえば、みなさんがご想像になるものとはかなり異質のものであった。具は椎茸・牛蒡・人参・油揚げを細く刻んだものであって、だし汁にはくず粉でとろみがつけてあった。うどんの代わりに・・・宮城では広く知られている・・・温麺が入っていることが普通で、それがないときは冷や麦が入っていた。そんなものはうどんとは言えないといわれても仕方ない。我が家ではこれがうどんだったのだ。

今から40年以上も前のこととて、地方の・・・それも海辺の寒村に住んでいた私たちにとって外食するような機会は滅多にはなかった。よしや仮にそんな機会があったとしても、その場所は百貨店の最上階にあるレストラン。小学生だった私たちがこんな場所で注文するものは・・・まず、カレーライスだった。自分の家で食べる時、それはライスカレーと呼ばれているが、たまさかに町に出て、その町の象徴(私たちにとって)たる百貨店のレストランで食べるそれは間違いなくカレーライスであった。

そんなわけで私は、よそでうどんを食べるという機会があんまりなかった。うどんのように家でも食べられるものをわざわざよそで食べる必要がなかった(ライスカレーは魚肉ソーセージ入りのものが月に一度食べることがあるかどうか・・・そんな時代だ)。頭ではうどんがどんなものは知っていた。けれども、それはあくまでも知識としてのうどんで、私がうどんという言葉を耳にしてすぐさま脳裏に浮かんだのは温麺、あるいは冷麦の入ったそれであった。

そんな私が・・・キツネうどんというものを初めて口にしたのは小学校の2年・・・いや3年のことだったろうか。

当時私は宮城に住んでいたが、夏休みの度に大和に暮らす叔父叔母の家で兄弟とともに数週間を過ごした。宮城より数倍暑く感じられた大和の地でクーラーもない中、わずかに涼を求めるとなればそれはプールしかなかった。数日に一度、叔父は仕事に向かう途中、当時橿原市にあったライオンプールという施設に我々を連れて行ってくれた。大人用と子供用の二つのプールと滑り台、そしてレストハウスを供えた当時としてはかなり充実した施設であった。

ここで私たち兄弟は叔父が仕事を終え迎えに来てくれる夕刻まで過ごしていた。当然のことながらここのレストハウスで昼食をとることになる。当然のことながらいつも私が食券の自動販売機で押すのはカレーライスのボタン。

ある日のことである。兄がきつねうどんと書いたボタンを押した。どこかで兄はキツネうどんという食べ物があって、それが美味であるという情報を仕入れていたのだ。私もそれにつられてキツネうどんのボタンを押す。どのようなうどんかは・・・知らない・・・

私は水道のまずい水を飲みながら(実際当時の大和の水道水はまずかった)、未知の食べ物がテーブルに運ばれるのを待った。おそらくはアルバイトであろうか、恐ろしく愛想の悪いお姉さんが「ガタン」と音を立てて丼をテーブルに置いた。

テーブルの上におかれたそれを見て私は少しがっかりした。うどんは私が知識として持っていた通り、太く長いそれであった。けれどもそのうどんが沈んでいるのは、底が透けて見えるほど薄い色のだし汁だった。こんな汁に味があるのか・・・くわえて、その上に載った大きな油揚げ。こんなものをどうやって食べたらいいのか。

けれども一度頼んだものは仕方がない。食べなければ大枚120円が無駄になってしまう。120円は当時の私たちにとって1週間分の小遣いに当たる。私は意を決してそのだし汁を口にした。

・・・甘い・・・

子供のこととて甘いものには・・・弱い・・・

私は初め異様に感じていた大きな油揚げに恐る恐る口を付けた・・・さらに・・・甘い・・・

私は、先ほどだし汁をすすった時に感じた甘みはこの油揚げからにじみ出たものであることをすぐに理解した。この甘みのためには・・・先ほどは味があるのかどうかとさえ私が疑った底が透けて見えるほどの薄い色のだし汁が必要だったのだ・・・

この日から私が大和の地において外食する際に口にするものはキツネうどんと相成った。