大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

「磐余の池」・・・

今朝、朝刊の一面の次の記事が目を引いた。

日本書紀記述の「磐余池」の堤跡など出土(毎日)

この発見で私がすぐに想起したのは、かの大津皇子の臨終の際の

ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ

という短歌である。この池の場所は「推定地」として以前から指摘はされていたが、このような発見があってその蓋然性が高まれば、いっそうこの歌に対する思い入れが深くなるというもの・・・・

皇子の家があったといわれる訳語田(オサタ・・・桜井市戒重付近)の地はこの池から2㎞弱北東にある。謀反の発覚した皇子は逮捕されその家において死を賜った。

朱鳥元年(686)十月庚午 賜死皇子大津於訳語田舍。時年二十四。妃皇女山辺被髪徒跣。奔赴殉焉。見者皆歔欷

とは日本書紀の一節である。

まさに今死に臨もうとしている皇子の目に、この池はどのように見えたであろうか・・・彼のその視野の右端には聖なる山「天の香具山」があったはずである。そして池を挟んだ左に「多武峰(トウノミネ)」音羽山が続く・・・そしてその奥には、かつて父天武天皇と訪れた吉野の地が・・・・そしてその吉野の地が父にとっては忘れることのできぬ重要な地であったことも皇子には思い起こされたことであろう・・・

そして皇子は果てた・・・

「ももつたふ(百伝ふ)」・・・その池の永続性を讃える讃えるような枕詞によって表象された「磐余の池」も、平安の御代には取り壊されたらしく、今は一見して周囲の田畑と区別がつかない・・・・