大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

行って見たいところ・・・追分温泉1

先日、よく邪魔させていただいている掲示板の常連さんとのやり取りの中でふとある温泉についての記憶が蘇った。

追分温泉という名の温泉だ。住所は宮城県桃生郡北上町女川大峯1

山あいの本当に鄙びた一軒宿だ。宮城県内に住んでいらっしゃらない方・・・いや、宮城県にお住まいの方だって、県南在住の方であればほとんどの方がご存知ないであろう。今でこそ上記リンクのように安価で豪華な食事を供してくれることで知られるようにはなったが、私がこの宿のお世話になったころは、客が自炊して長期滞在する湯治客がほとんどの宿であった。建物もかなり古びたものであったと記憶している。

そして私も・・・この宿の湯治客であった・・・

それは・・・私が小学校の6年生の時だった。それまであまりそのような傾向はみられなかったのだが、この年の夏、急に体中のあちらこちらにブツブツができるようになった。いつもというわけではないが、しばしばかゆみも伴った。市販の薬を試す。皮膚科の厄介になる。漢方・・・いろいろとやってみたが、はかばかしい効き目は見られなかった。今になって思えば「アトピー性皮膚炎」というやつだったのだと思うが、当時の医師の診断は「慢性湿疹」ということだった。

そんな年の正月の2日の朝のことだ。おそらくは前日に年始参りに来た客からこの温泉の効能を聞きでもしたのだろう、父はいきなり「追分温泉に行け・・・」と私に言い渡した。ながの滞在になり、寂しいだろうから友達も連れて行けという。私が名をあげた友人の名を聞くなり、父はその家に電話をし、すぐさま了承を取り付けた。

父は車に私と、これからの数日間、私の面倒を見てくれる祖母を載せ、友人の家をまわった。一人は同い年の従弟。そしてもう一人は二つ下の・・・これまた従弟。

マンガ本は持ったし、グローブとボール、バットも持った。途中の町では、室内で遊ぶためのおもちゃも仕入れた。何せ正月の2日だ。懐中はあったかい。鄙びた街道沿いの金物屋で自炊のための鍋やら薬缶を買ったのも覚えている。日ごろ意識したことのなかったそんな日用品の値段を知って、そんなにするものかと驚いたものだ・・・

道ははじめ石巻市を貫く北上川に沿って北上する。

北上川は岩手・宮城を貫く大河である。かつて、その流れは最終的に石巻で太平洋にそそいでいたが、度重なる洪水から石巻などの下流地域を守るため、その流れを分流させることとなった。明治44年から23年をかけてその派川である追波川を放水路として利用するための開削工事を実施された。それ以前の流れを旧北上川、この新しい流れを新北上川と呼ぶ。このたびの震災でその冷たい波濤が、川を数キロにおよび遡り、多くの幼い、そして尊い命が奪ったあの大川小学校はこの新北上川のほとりにある。

話をもどそう・・・ここから先は今から40年近くの記憶ゆえあてにはならぬ・・・眉にたっぷりと唾をつけてお読みいただきたい・・・

北上川・・・旧北上川を北上していた道は、気が付くと川を離れ、田園地帯を貫くように走っていた。再び大河に突き当たる。新北上川だ。今度は川の流れに従って海へ海へと向かった・・・が、当時の私の意識としては山奥へ山奥へとひたすら車が走っているように思えていた。今、地図で確かめれば海からほど近い場所にあるこの温泉は、山奥の湯治宿として、私の記憶の中にはある。

道は川沿いに東進する。山は道に迫っていて・・・ところどころに集落がある。その中でも最も大きかった集落のところで、この大河沿いの道からそれさらに山奥へと向かう。峠道だ。先ほどの集落のところで北上川に合流していたささやかな流れは、さらにささやかなものとなる。

道は何度も大きくうねる・・・川に水車があってくるくると回っていた。聞けば、まだ電線んも通っていない地域ゆえ、自前で電気を調達しているそうな。水車はそのうちの一つ・・・水力発電機であった。ほかに豊富な森林資材を利用しての火力発電も行っていたらしい。つい最近まではランプの宿であったという・・・・

道も細くなり、私たちはだんだんと心細くなっていった。

話が少々長くなってきた。続きは次回・・・