大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

「瓦礫の中から言葉を」私の<死者へ>・・・辺見庸

あの日以降・・・そう、2011・3・11以降、私はしばらくの間、何も書けなくなっていた。そして、しばらくして・・・私はこのブログに我が思いを託そうとした。けれども書けば書くほど自分の思いと表現されている内容とが乖離して行くことに気づき、いたたまれなくなり早々に3・11について書くことをやめた。

あの日・・・テレヴィジョンは、その画面からハリウッド映画のそれをはるかに越える驚きを私たちに伝えた。震度7という情報は私をそうは驚かすことをしなかった。心の中にある程度の準備ができていたし、我が郷里の人々もそんな揺れに対しての準備ができていただろうと思えたからだ。

震度7

確かに尋常な揺れではない。けれどもそれはあくまでも私の想定内であった。そして・・・多くの我が郷里の人々もそれは同じであったと信じている。しかしながら、あの冷たく暗い波濤の強大さは誰が想定しえていたであろうか。

私は言葉を失った。この眼前にあるもの・・・それはあくまでもテレヴィジョンのモニターを通じてのものではあるが・・・を、これまでの私の中に蓄積されたいかなる語彙で表現したらよいのか・・・

それでも私は書こうとした。しかし書けば書くほど自分が、今の自分の思いの数十分の一をも表現しえていないことを気づき、とうとう私は3・11について書くことをやめた。それから10カ月近くたったある日、京都在住の詩人河津聖恵のブログで次の書の存在を知った。

 

書店でこの書を目にするや、迷いなく私はこの書を贖った。

けれども、それから数日そのページを繰ることができなかった。それはあの日以来しばらくの間、郷里に足を運ぶことができなかった感覚と似ていた。そして、勇気を出して1ページ、2ページ・・・そして、今は20数ページ。そこで私はページを繰ることをやめてしまった。

辺見庸氏は石巻市南浜町の出身。今回の暗く冷たい波濤によって跡形もなくその姿を消し去られた町だ。その点において全く同じ立ち位置にいる。そして・・・高校時代、私と同じ風景を見ながら3年の歳月を過ごしたことも・・・・

ほんの数ページ、この書に目を通しただけで私はそのことを手に取るように知ることができた。そしてまた私はその20数ページに目を通しただけで再びページを繰る勇気がなくなってしまった。

けれども・・・私には予感はある。

それがいかなる予感なのか・・・そして、その予感は正しい事なのか・・・

私は勇気を出さなければならない。この書の著者が渾身の力を振り絞りこの書を世に示した思いに応えねばならない。