大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

ああ宮城県

私が中学生の頃、郷里宮城県で一世を風靡した深夜のラジオ番組があった。

その名は「ジャンボリクエストAM0(エーエムオー)」。宮城のローカル放送局、東北放送の製作によるこの番組は、毎週の日曜日、深夜0時にこの番組はスタートしていた。次の日は月曜日。授業中に眠くなってしまうのを覚悟のラジオ視聴・・・・当然、親がいい顔をするはずはない。部屋から音が漏れないようにボリュームを絞って息をひそめながら聞いていた。

問題は、この番組が始まるまで私が起きていられるかどうかにもあった。高校も3年になって、大学入試があと一月を切るまでの私の辞書に、受験勉強なんて言葉はなかった。就寝の平均時間は午後9時。中学校の頃はもっと早かったと思う。そんな私が深夜12時まで起きているということはかなりハードルの高い事であった。

親には知られないように聞いていた。だから、深夜12時に目覚ましを鳴らすわけには行かない。少しでも寝入ってしまえばそのまま朝になることは必然。9時過ぎには明かりを消して(親の目をごまかすため)、密かにその時を待った。

深夜12時。

軽快なテーマソングとともに、番組のパーソナリティーの軽快なトークが始まる

・・・・んん・・・・「おばんです」?・・・なんか変だぞ・・・

そう、この番組のDJ吉川団十郎は仙台弁(正確には彼の出身地名取弁)で番組の初めから終わりまでを通していた。

お国ことばで番組を進行することは、今は、さほど珍しい事ではない。が、私が中学生であった今から40年弱前の日本では極めて斬新な試みであった。少なくともこの頃の東北の民の多くは自らのお国ことばに多大なるコンプレックスを抱いていた。集団就職で中学を卒業してすぐ関東の町に就職し、そこで言葉故に孤立し、中には自らの命さえ絶ってしまう・・・そんなことすらあるのだと私は諸先輩たちから聞かされていた。

それを・・・彼は臆面もなく自らが生まれ育った町の言葉でしゃべり倒した。私たちはそのことにどれほど励まされたか知れない。

しかし、かれの本業はDJではなくフォーク歌手であった。吉川団十郎一座というグループを率いてヤマハのポップコーンの常連として活躍していた(宮城県内のみで)。

そんな彼の唯一の全国的なヒット(と言っても、数度全国版の番組においてその姿を示すことができただけではあるが、それでも私たちには充分に誇らしい事であった。)この歌だ。

あの日からしばしば・・・この歌の一節を口にする。車を運転しながら・・・風呂につかりながら・・・

今頃彼はどうしているのだろう・・・

ふと思い立ってこの曲を紹介しようと思った。そうしてユーチューブで探してみたら、第2章として新たなバージョンがアップされていた。明らかに震災以降の内容だ。彼はまだ歌っているのだ。

ああ宮城県第二章

どうやら陶芸家としての日常を送りながら歌手としての活動も続けているらしい。

http://ha6.seikyou.ne.jp/home/danjuro/

なんとなく・・・うれしかった。

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