大和逍遥   

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穴師から景行天皇陵へ

三輪山の山裾を離れ、おそらくは巻向川の流れがもたらしたであろう扇状台地の上端に位置する穴師の集落を抜けようとする頃、景行天皇陵への道筋を示す標識が目に入る。それは同時に現在山辺の道とされている小径のありかを示す道しるべでもある。

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その示す方向に従って歩みを進めて行くといつしか穴師の集落から離れる。歩く事5分、目の前にはいくつかの人工的な丘が目に入るようになる。

珠城(タマキ)山古墳群だ。

50m級の前方後円墳二つと90m級の前方後円墳一つからなるこの古墳群は、平成17年2~3月、8~10月の2回にわたって桜井市教育委員会による発掘調査が行われている。

この古墳群は、昭和30年代にこの地域において土砂の採取が行われていた頃、横穴式石室が発見され、県によって緊急調査が行われた。その時に石室内から、馬具・刀剣・装飾品類など豪華な副葬品が出土し、年代測定の結果、6世紀代に築造のものであることが明らかになった。

平成17年の調査はそのうちの1号墳・2号墳の範囲を確認するための調査であったが、1号墳後円部からは埴輪片が多量に出土し、古墳の周囲に埴輪が巡っていたことがわかってきた。また2号墳の調査では前方部の西側に、幅4m、深さ1,2m程の周濠の跡がが確認され、、その全長が80~85m程度の規模をもつことが分かってきた。

この古墳群のように前方後円墳3基が密集して築かれることは珍しく、またそこから出土した副葬品の豪華さを考えると、当時の政権内においても重要な役割を果たしていた人物が埋葬されていると推定される。さらにこれらの古墳が築造された6世紀は前方後円墳が築造された最後の時期であり、古墳時代の終焉を考えるにはかなり重要な古墳群だと考えられる。

もちろん、この山の辺の道をただ行き過ぎるにすぎない私たちが、これらの古墳の一々に足を踏み入れて発掘するわけにはいかぬ。道の端、かなり急な角度に盛り上げられたこれらの墳丘の姿に、今を遡る事1500年は前の豪族の権威をうかがい知ることができればそれで充分だ。

そしてこれらの古墳群を抜けた最初の四辻、これまでに西に歩いていた道を右に曲がる。私たちの視線はこれで北を向いたはずだ。その先に見えるのは・・・

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景行天皇陵である。全長300mはあると思われる超巨大古墳はあと数分の距離に迫っている。