大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

コーク・ハイ

ふと懐かしい名前の飲み物を思い出した・・・

コーク・ハイだ。

私とほぼ同じ年代の、そしてアルコールを嗜むことが常の方であるならば、おそらく若い頃に一度や二度は口にしたはずである。それがどんな飲み物であるか、今年52になる私よりも余程年長の方か・・・或いは酎ハイなどと言う飲み物が一世を風靡し出してからアルコールを嗜むようになった若い方々でさえなければご存じのことと思う。

そう・・・ウイスキーをコーラで割った代物である

大学に入ったばかりの頃、同じ学科の先輩方が、早速、新入生である私達を歓迎するコンパを催してくれた。ストレートに大学に入ったものならばまだ未成年で、おおっぴらには酒を飲めぬ年齢ではあったが、あの頃は当局からの厳しいお達しもなく、学内においては治外法権よろしく高校を出たての新入生がアルコールの洗礼を受けるのがこの場であった。無論、このような諸先輩からの洗礼を受けずとも高校時代以前より自ら自主的にその洗礼を受けているものはいた(私もこの中の一人)し、大学の門をくぐるまでにあまたの星霜を堪え忍んできた中には成人を迎え、合法的にアルコールに親しんでいるものもいた。が・・・大方の新入生はこの新歓コンパにて男性の先輩の強圧的な、或いは見目麗しい女性の先輩の柔媚な笑顔をともなっての酌を受け・・・その後どうなったかはご想像にお任せするが、私の場合は気がつけば見ず知らずの先輩の下宿の一室で、激しい頭痛とむかつきをともないながら、翌朝、目覚めていた。

上に「学内」と記したが、これはその文字に忠実な意味で「学内」であった。私の学んだ大学のある町は大勢の学生が集まって酒を組み合わすほどの酒場はなかったし、おそらく、当時、私学では全国一の学費の安さを誇っていた我が母校に集まっていた先輩方(そして新入生)には市井の酒場で酒宴を繰り広げるような経済力は持ち合わせていなかった。そのことを憐れんでか大学は学内に集会所なるコンパ会場を用意してくれていた。コップやらお皿も学生課に申し出れば貸し出してくれた。

初めはビールにての乾杯で始まった宴が進むにつれて、先輩方が、個人的に持ち込んだそれぞれのお好みのアルコールを持って新入生のところへやってくるようになった。そんな中で、とある先輩がウイスキー(ダルマだったかと記憶する)と当時出回り始めていたコーラの1L瓶を持って私のところにやってきた。私に目の前のグラスに残っていたビールを飲み干すことを促し、私がそれに応えると先輩はそのグラスに三分目程までウイスキーを注ぎ、その上から1L瓶のコーラをなみなみと注いだ。

「コーク・ハイだ。」と先輩は言った。

東北の育ちとてそれまでの私の周囲には酒を嗜む大人は数多くいたが、誰しもそんな飲み方をするような人はいなかった(今になって思えば正当な酒飲みがあんな飲み物を飲むはずはない)ので、私はそのときがコークハイの初体験となった。

馴染み親しんだコーラの甘みにほんのわずかウイスキーのほろ苦さが加わって、非常に飲みやすいように思えた私はよせばいいのにそのグラスを一息に飲み干した。

「気に入った・・・」。

先輩はもう一杯コーク・ハイを作ってくれた。そしてまた一気に飲み干す。先輩はまたコーク・ハイを作る。途中でダルマの瓶は空になり、先輩はどこぞからもう一本のダルマを調達してきた。そしてまた一杯・・・その後の記憶はない。

唐突な話ではあるが、これが大学において万葉集を専攻するにいたる大きな契機となった。当時4回生であったその先輩は、現在、伊勢の国のとある大学にて万葉集を講じておられる。翌日、学内にあった我が国文学国語学科のボックスで再び出会ったこの先輩は、学科内にて行われていた万葉集輪講会へと誘ってくれたのだ。大学に入る前からこの国の古代に興味を覚えていた私にとっては渡りに船。翌週の月曜日の放課後に行われた輪講会においては私はそのメンバーの一人になっていた。

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