大和逍遥   

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山辺の道・・・景行天皇陵

珠城山古墳群を西に抜けてほんの数分で南北に走る小径に至る。ここで進路を北に取るとすぐその先に見えるのが渋谷向山古墳宮内庁の指定によれば景行天皇陵(山辺道上陵)である。全長は310m、後円部の直径は168m高さ23m。東西方向の方向に主軸をおいた堂々たる威容である。4世紀半ば、この地に王都を構えた権力者の墓としてまことにふさわしい姿である。

先ほど曲がったばかりの小径を北上することほんの5分。見上げるばかりの墳丘に突き当たる。道は墳丘に沿って右に左に走っている。

左に歩を進めれば国道165号線。前方部の拝所がそこにある。

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明治時代に宮内庁により景行天皇陵に指定され、今に至っているが、江戸時代には崇神天皇陵と認識されていたらしい。

この巨大な墓所の主とされている景行天皇は『古事記』『日本書紀』に記される第12代天皇。和風諡号は大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)で、かの日本武尊(やまとたけるのみこと)の父である。都は纒向日代宮(マキムクノヒシロノミヤ)、現在の奈良県桜井市穴師かと推定されている。

真にこの陵墓がこの古代史の英雄の父君の墓所であるかどうか、すなわち宮内庁の指定の真偽のほどは定かではない。現にこの陵墓が景行天皇陵になったのは150年もさかのぼった過去ではなく、それまでは御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)、すなわち崇神天皇墓所として考えられていたのだから。

宮内庁古事記にある「御陵は山邊の道上にあり」の言から推定したものだと考えられるが、実は当の景行天皇はその実在の疑われている天皇なのだから、その推定をそのまま鵜呑みにすることはできない。その実在を疑う根拠はいくつかあるのだが、ここでは触れない。

問題はその真偽を確かめるために最も有効な手段の一つである発掘調査が行えていないということだ。ご存知のように、皇室の管理するところの陵墓はその発掘調査が禁じられている。部分的には行われている場合もあるが基本的にはタブーである。いろいろ理由はあるのだろうが、皇室の祖先の尊厳の保持がその第一であろう。理念として理解できない点もないではない。私だって人が祖先を敬う気持ちよりも学問が優先するものだとは思わない。

しかし、かりそめにもこのような陵墓の維持、運営には公の金銭が投入されている。であるならば、その予算が皇室陵以外に投入されているとすればそれは忌々しき事態である。宮内庁学術的信頼度については「たとえ誤って指定されたとしても、祭祀を行っている場所が天皇陵である」とし、発掘調査による天皇陵の治定見直しを拒絶している。これではまるで、かつてこの国の首相がイラクの戦争の際、自衛隊の派遣について問われた時吐いた「自衛隊が展開している場所が非戦闘地帯である」との発言と同じレベルのものだ。

第一、その墓の主をきちんと確定し、正しくお祀り申し上げるのでなければその墓の主に対して失礼千万ではないか。

などと・・・この巨大な墳丘を見上げる時私はいつも憤る。しかしながらいつまでもここに佇んでいるわけにはいかない。日本武尊の非業の死を想い、

大和は国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 大和しうるはし

とその辞世を口ずさみ、墳丘沿いの道を右(即ち東)へと歩みを進めよう。小径は墳丘の後円部沿いに湾曲し再び北へと向かう。その先にあるのが御肇國天皇、すなわち崇神天皇の御陵だ。