大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

二つの新聞社のその日・・・河北新報と石巻日日新聞

3月に放映予定の二つのテレビドラマがある。

である。いずれも3.11にまつわる内容のドラマである。どちらも同名の書籍が昨年出版され、話題を呼んだのでご記憶のある方もいらっしゃるだろう。

河北新報は東北随一の地方紙。発行部数50万近くの数を誇るこの東北のブロック紙は創業者一力健治郎が、当時、経営難に陥っていた東北日報を引き継ぐ形でスタートした新聞社だ。維新の際、薩長より「白一山百文」と侮蔑された(こんな過去の由来がある故、「維新」という語に、あるいはその語を旗頭にするような団体に嫌悪を抱くのかもしれない)みちのくの民の意地を見せるべく「河北新報」と名づけたという。かくいう我が生家も新聞は河北新報であった。朝日やら毎日、ましてや読売・産経などは近所で購読している家はなかったように思う。それほどこの東北随一のブロック紙は地元で強い支持を受けていた。

そんな新聞社があの日をどう過ごしたのか・・・

この東北の言論界の雄は、その日の午後7時にはすでに号外を配布していた。そしてその翌日も・・・そして河北新報は発行され続けた。しかし、それいつもの通りの新聞社の業務の結果でなかっただろうことは想像に難くない・・・。次はこの書の口絵となった写真の片隅に刻み込まれた一文である。

震災翌朝、ヘリから石巻市の震災現場を空撮していたカメラマン門田勲は、救助を求めて必死に手を振る被災者の姿を発見した。同乗の友好社のカメラマンは眼下の被災者に詫びるように、「ごめんなさいね、ごめんなさいね・・・・僕たちは撮ることしかできない。助けてあげられないんだ・・・」と何度も独り言をつぶやいた。

一文に触れた私は恥ずかしながら・・・落涙した・・・

そして6枚の壁新聞。

すべてが破壊し尽くされた被災の地、石巻。北の小さな港町のローカル紙が石巻日日新聞だ。その市内に居住してはいなかった私だが、通学していた高校だ同市内にあった故、様々な機会で紙面に目をやる機会があった。ささやかな・・・ほんのささやかな新聞ではあったが、これもまた地元の人々にはなくてはならない情報源であった。そしてこのささやかな新聞社も、あの日あった厄災から脱がれることはできなかった。2011年3月11日の激烈な破壊はこの新聞社の印刷機器のすべての機能を奪った。

けれども、彼らは自らの仕事を成し遂げつづけた。

「壁新聞」という形で・・・

市内の6か所に6日間、当新聞社の記者たちがフェルトペンで書きつづった壁新聞が掲示され続けた・・・

そんな二つの新聞社の営みがドラマ化される。そのうち後者の石巻日日新聞についてのドラマは私と同じくこの町で高校時代を過ごした中村雅俊が主演する。興味がないといえば嘘になる。多分、見てしまうだろう・・・

ただ・・・ひとつ、「不安」・・・いや、この場合「不安」という言葉は不適切だ・・・けれども「予感」とも違う・・・言い知れぬ思いがあって、この二つの書籍のドラマ化を素直には喜べぬものがある。

上記の二つの書籍はいずれもそれぞれの新聞社の記者たちの書いたものだ。ご存知の通り新聞の文章というものは出来る限り短く、そして感情の起伏を排除した形で書かれている。そうでなければ公正であるべき紙面に私情が混じりこんでしまうからだ。そしてこれら二つの書籍はそのような文体で世に出た。そして、この場合、その内容から考えてもそれが3.11という事態を伝えるには最もふさわしい手法であっただろう。

けれども・・・単独では全国に販売網を持たない地方紙。事を全国に伝えようとすれば、どうしても大手出版社の力を借りることになる。河北新報社では次のような出来事があったと聞く。

「河北新報のいちばん長い日」の裏話

テレビでドラマ化されるとなれば、その傾向は一層強くなることであろうと予想される。かつては・・・もう、それはかなり以前のことにはなるが、変に感動を強要しないドラマが評価を受けていた時期もあったかに記憶しているが、今は違う。特に今回のような内容のドラマにおいては、視聴者に感動と落涙を強要しようとする確率は高い・・・と、近年のあまりテレビドラマを見なくなった私はつい疑ってしまう・・・