大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

大仏様に会う・・・1

東大寺まで我が家から車を走らせれば1時間前後。その気になればいつでも足を運ぶことのできる距離ではあるが、こうやって大仏様にお目にかかろうと家を出たのはもう4,5年ぶりのことであろうか。いくら大和の住民であるといっても大仏様にそうそうお会いできるわけではない。

寒空の下、車を走らせ奈良公園に着いたのが10時30分ごろ。氷室神社の脇の駐車場に車を止める。もう少し暖かい季節ならば、少々離れた場所に車を止め、奈良公園の散策などを楽しむのも一興なのだが、何せこの寒さだ。目的の大仏様に最寄りの駐車場で我慢をすることにする。

車を降りればほんの数分で正面の参道に入る。最近はやりの人力車のお兄ちゃんたちの誘いを振り切り参道に足を踏み入れれば、左に数件のお土産屋。右・・・すなわち東には若草山を背景に奈良県公会堂の瀟洒な建物が見える。そして正面には・・・

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巨大な・・・まことに巨大な南大門が見える。東大寺創建当初の南大門は962年8月に台風で倒壊。今、眼前にある南大門は1199年に復興されたものだ。東大寺中興の祖と呼ばれている重源上人が宋の国から伝えたという大仏様(ダイブツヨウ)の建築は、貫と呼ばれる柱を貫通する水平材を多用した堅牢な構造と、天井を張らない構造材をそのまま見せる装飾で知られている。

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1層目の屋根の上を見上げれば写真のような扁額が・・・・

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古記録に基づき、2006年の重源上人八百年御遠忌法要に合わせて新調されたもので、聖武天皇が書き残した経文から上掲の写真の文字を抜出、模写したものであるという。少々線は細いながらも厳しく引き締まった・・・誠実な文字である。

そしてこの南大門の名を高からしめているのはその左右に配された金剛力士立像に他ならない。

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光線の加減と撮影知識の乏しさゆえ、かくも見づらい写真となってしまったが、高さ8.4mの巨大な木像は見るものをして粛然たらしむる圧倒的な威圧感を以てそそり立っていた。上が門の左側、口をひらいた阿形(アギョウ)像、下が門の向かって右の厳しく口を閉ざした吽形(ウンギョウ)像である。聞くところによればこの左右の配置は一般的な仁王像の安置方法とは逆の配置法だという。以前は阿形は仏師快慶、吽形は運慶の作と信じられてきていたが、1988年から1993年にかけて行われた解体修理の結果、その内蔵物から阿形像は運慶および快慶とその部下13人、吽形像は仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に造ったものであることが明らかになった。ただし、運慶が製作現場全体の総指揮に当たっていた事には大過ないという。

ところでこの2体の巨大な木造の陰であまり知られてはいないがちょうどこれらの木造の裏側に大仏殿の方角を向いて安置されている2体の石像を見過ごしてはならない。

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上が門の右、下が左のものでこの門の鎌倉時代再建当時のもので、若き日の伊行末(イノユキスエ)の作と伝えられている。身の丈1.8m、あまりに巨大な金剛力士像の陰で目立つことはないが、これもまたその凛々しい姿は一見に値する。

さて、この巨大な木造の建造物は、その中に安置された2体の木造、そして同じ2体の石像とともに、その建造物自体が賞玩のため時間を費やす事を惜しとはしないが、今日の目的はここにあるのではない。先を急がなければ…

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