大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

ある留学生のこと

かなり以前・・・そう、ブログを始めたばかりの頃に書いたことの焼き直しを一つ。

それは今から20年以上も前のとある奈良県の高校でのことだ。当時はやり始めた国際交流に力を入れていたその高校は、毎年英語圏の国、非英語圏の国からそれぞれ一人ずつを長期留学生として受け入れていた。4月から3月の1年間、日本の学校のスケジュールに合わせ、彼等、彼女等は近辺の町にホームステイをしながら、その高校に通っていた。

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以下はその学校に勤めていたとある友人から聞いたエピソードである。

その年の非英語圏からの留学生はエリザベッチ・ニシという名のブラジル在住の日系3世の女の子だった。もうすでに過程においてはポルトガル語しか使わなくなっていたのだが、本人の希望もあり小学校4年生の頃から日本語を習っていたらしく、日本に来たときにはたどたどしいながらも日常生活には全く支障をきたさないほどの日本語を操っていた。

日系とはいえ育った環境は全くのラテン。明るく屈託のない性格で級友からはかなり人気で、周囲から「べス」と親しみを込めて呼ばれていた。聞けば、本国にいる時にはカーニバルで例の大胆な格好で一晩中踊り狂う・・・そんな女の子であったらしい。見た目は、日系だけあってまことにおしとやかな日本の女の子というイメージだったらしいのだが、やはり育った環境が違うと・・・とその友人は思っていた。

そんな彼女がである・・・

ある日、その「べス」が級友とともに登校してきた。私の友人は校門にて登校してくる生徒の様子を見守っていたらしいのだが、その友人にむかって「べス」は「おはよう」といつものように明るい声であいさつをした。その直後一緒に歩いていた「べス」の級友が「おはようございます」とあいさつ。

一瞬、「べス」の顔が曇った。

その日の放課後のことである。昇降口の下駄箱の陰でうつむいてすすり泣いている「べス」の姿とその級友の姿があった。私の友人はどうしたのかと二人に尋ねた。すすり泣く「べス」に代わってその友人が答えた。その内容をかいつまんで書いてみると・・・

今日の日まで「べス」にとって誰と会った時でも朝の挨拶は「おはよう」であった。けれども彼女はその朝気づいてしまった。教師・・・先生に向かっては「おはようございます」と言わなければならなかったことを・・・・

・・・・「今日まで私は先生に『おはよう』と言ってきた。『おはようございます』と言わなければならないのに・・・」と言いながら一日中泣き続けていたらしいのである。

この話を聞いた時私は思った。これほどまでの感性はもはや今の日本の高校生にはあり得ない。長幼の序を重んじるこの国の美風は高度経済成長とともにどこかへ吹き飛ばされてしまったが、遥か地球の裏側に住む我々の同胞の後裔に脈々と受け継がれ続けているのだ・・・・と思い、その時の記事にはそう書いたのだが、最近違った考えもありうるように思うようになってきた。

それは・・・言葉でこそ、その差異はないのかもしれないが、教師、あるいは年長の者に対して敬意を払わねばならないとする考えがブラジルの人々の間には強く存在しており、日本に来た彼女は敬意を払う形が言葉の上でも存在することをその日知った。そして、その日知りえたことからすれば、自分はそれまでの数か月、教師に対して「失礼」を働き続けてきたことも知った。

どちらが正解かは分からない。あるいはどちらも正解なのかもしれない。いずれにしろ、40そこそこのどこぞの市長に、長年政治家をつとあげてきた海千山千が、なんの矜持も持たずでれでれとすり寄って行くようなこの国には疾うに忘れ去られた感覚なのだ。

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