大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

2012・卒業式式辞

今日はちょいとずるい記事になるが・・・

私の母校は石巻にある。被災の地石巻でも標高の高い位置にあったわが母校の後輩たちはその学窓から自分たちの町が流されてゆくのを見ていた。なすすべもなかった・・・もちろん、それによりそう教師たちもしかりである。母校在勤の私の先輩も、建てたばかりの自分の家が流れて行く姿を見て声も出なかったという。

それから・・・授業再開までの道のりは平坦なものではなかったと聞いている。そしてそんな母校にも卒業の日がやってきた。自らが巣立つ日にむけて混迷の一年を送った今年の3年生たちもいよいよ卒業の日を迎えた。そんな後輩たちに贈られた言葉が・・・

・・・これだ・・・

 例年になく厳しかった冬も、三寒四温を繰り返しつつ、晴れた日の光のまぶしさと、その光に真っ青に輝く海から吹いてくる風の穏やかさに、迫り来る春の足音を感じる季節となりました。いつにもまして、今年はその季節の移ろいが、優しく感じられます。 本日、平成23年度 宮城県石巻高等学校 卒業証書授与式を、同窓会長 ×× ××殿、PTA会長 △△ △△ 殿を初めとする多くのご来賓のご臨席を賜ります中で、挙行できますこと、心より御礼申し上げます。 また、3月11日の震災以降、ご自身も様々に困難な状況にありながらも、4月21日の学校再開までの間、そして学校が再開してからも、ご家庭を取り巻く日々変化していく状況の中にあって、お子さまと共に、ときに喜び、悩み、ときに厳しく、ときに優しく、成長を見守り続けて頂きました保護者の皆様に対し、厚くお礼申し上げます。そして皆様と共に、今日の良き日を心から喜び、卒業生諸君それぞれの新しい旅立ちを祝福致したいと思います。また合わせまして、避難の方と共にという異例の形で始まった本校の本年度の教育活動に対し、例年と比較することのできない深いご理解とご協力とご支援を賜りましたこと、ご臨席のすべての皆様方に改めて深く感謝申し上げます。また、この席にはご臨席いただいてはおりませんが、本校をご支援いただきました各種機関・団体の皆様方にも感謝申し上げます。皆様方のご協力・ご支援なしに、今日の日を迎えることはできませんでした。教職員一同心より御礼申し上げます。 さて、ただいま卒業証書を授与致しました235名の卒業生諸君、ご卒業おめでとうございます。一年前、ご家族の状況もわからない不安と 漆黒の闇を焦がす紅蓮の炎の一夜から始まった校内での避難の日々、そして自分の地域に戻って学校が再開されるまでの地域社会の中での日々、決して穏やかな日々ではなかったはずです。しかし、その間に、諸君は校内に避難されている方の支援活動や、家の手伝いや、地域支援にこられた方々と共にボランティア活動に参加する中で、社会の人たちと絆を結び繋がっていく能力を身につけて行きました。同時に自分という存在がいかに大きいものであるかを実感し、前を向いて歩んで行こうという決意を固めていったように思います。4月14日、前年度修業式の日に諸君の中の一人が、穏やかな顔で「普通の生活をしていれば一生分くらいのことをこのひと月で考えた」と話してくれました。あの言葉の重さ、その表情を私は一生忘れることはないでしょう。彼に限らず、その日に見た諸君は、その大きさや堅さに違いはあるものの、さまざまな思いを昇華させた結晶を心の中に持っているように思えました。学校に来るようになってからの諸君は、その結晶が光を受けて輝くかのように、明るく前向きに、一日一日をしっかりと送ってきてくれました。諸君の頑張りは見事でした。その姿は、我々教職員に力を与えてくれました。我々は、諸君に助けられました。その意味でも、諸君に感謝します。 いま、諸君が心に持っている結晶は、かけがえのないとても大切なものです。しかし、結晶は光が当たったときに輝きはしますが、自ら光りはしません。そこで、これからの諸君に望むのは、今後も学問や様々な人との出会いからの「学び」や「多様な視点」を、諸君が今持っている心の中の結晶を核として身につけていき、芯となるものを見つけ、自分というものを持った社会人となってほしいということです。別な表現をすれば、世界にただ一つの形や成分を持つロウソクのような存在になって頂きたいということです。そして、いつの日にか、どうぞ、自らを作り上げてくれたすべての人、すべてのことに感謝しつつ、社会のために自ら光を放ち輝くと同時に、周囲の人に光と温かさを与え、その人をも輝かせるような炎と光を放つ存在になって頂きたい。さらに、いつまでも輝き続けるために、学問や社会や人からの「学び」というロウを生涯吸収し続けていただきたい。 これは、ファラデーの書いた「ロウソクの科学」の中の一節を紹介しながら諸君が2年生になった時の始業式で贈った、私の初めてのメッセージでした。あのときから二年間、私は諸君の成長を見てきました。そして、諸君からたくさんのことを教えてもらいました。ですから、今日、諸君一人ひとりが将来きっとそういう人間になってくれることを確信しつつ、卒業証書をお渡しすることができました。私にとっても、今日はとても喜ばしく、私の人生においても記憶に残るであろう日であります。 さて、諸君は今日を境にこの思い出多い鰐陵を巣立ち、上級学校へ、あるいは社会へと羽ばたいていきます。社会の中で生きていくことには、学校生活とは違う厳しさがあります。 大きな視点からみれば、世界規模で進行する温暖化、宗教と民族と政治が複雑に絡み合った国際紛争、“魔物”と形容されるまでにグローバル化してしまった市場原理と各国の政治の齟齬が生み出すさまざまな格差と混乱、こういった多様な問題が存在しています。国内に目を向ければ少子高齢化がもたらすであろういろいろな問題、最も身近なところには、震災復興に関わる複雑な問題が存在しています。そしてそれらすべての問題の根本には、いくつかの根源的な問題があるように思います。その一つは公の利益「公益」と、個人の利益「私益」の折り合いをどのようにつけていくのかということがあるように思います。こういいった根源的な問題を解決する鍵は、個人がどのような価値観と倫理観をもって生きていくのか、ということにあるのではないでしょうか。 ですので、そんな「先の見えない」ときであるからこそ、一人ひとりが、「人としてどのような価値観や倫理観を持って生きていくのか」が問われる時代になります。それを持つための学問や人や社会からの「学び」をどう続けていくのかが問われるのです。 校長室に、平成9年に講演のため来校された35回生 辺見 庸 氏が残された色紙が飾ってあります。そこには、「見えざる像を!」というメッセージが書かれています。「見えざる像」。それは「自分が築き上げて行くであろう未来の自分や社会の姿」ではないでしょうか。そう考えるとき、今、諸君に求められるのは、この「見えざる像」を追い求めつつ、それを少し具体化した「夢」を描き、その夢に繋がるであろう「当面の夢」を定め、その実現のために一歩一歩、日々の生活を着実に積み上げて行くことです。その行為を通して諸君の社会人としての人格が、そして人生が作られて行きます。その時の具体の行動指針こそ、諸君が入学以来頭に刻み込んでいる旧制中学以来引き継いできた『生徒心得綱領』にあるように思います。同窓会誌『鰐陵』を読んでも、多くの先輩がこれを人生の指針として歩んでおられることがわかります。 一 強健なる心身を養い もって自我の発展に努べし 二 至誠一貫 勤勉力行 事にあたりては倦むことなきを要す 三 質実剛健 進取独創 自ら進運を開拓すべし これを、今日改めて、頭ではなく心に刻み込んでください。 しかし「進運を開拓する」その道のりは、決して平坦ではありません。当然、失敗や挫折もあります。今回のようにそれが人智を超えたことによってもたらされることもあります。でもその失敗や挫折こそ、人として成長していく飛躍のチャンスになります。失敗や挫折を乗り越えたり、くぐり抜けるきっかけを見つけたことを、その分野で天才とよばれるような人ほど、「運」あるいは「偶然」と表現します。しかし、その「運」というものは漫然としていて訪れるのでは決してありません。もがき、苦しみ,それでも前向きに誠実に愚直に努力し、試行錯誤する中で、「希望」を見つけ、彼ら自身の中にまさに「進運」を捕まえる準備ができていくのです。 2010年以来、惑星探査船「はやぶさ」がいろいろなところで話題になりました。その「はやぶさ」に至る日本のロケット開発の父と呼ばれる糸川英雄氏も 「天才というのはただ階段を隠すだけだ。階段を開けっぴろげに見せた人は努力家だと言われ、見せなかった人は天才だと言われる。」 と述べています。諸君も、汗して階段を一歩一歩上って「自ら進運を開拓」していってください。この震災を乗り越えた諸君達なのですから、自信を持って人生を歩んでいってください。 そして何よりも、未来に向かって皆さんが受け継いだ、貴重な何物にも換えることのできない「命のバトン」をしっかりと握りしめて。 以上をもって式辞と致します。

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長い引用になってしまったが、この式辞を読む機会を得た私はその一言も漏らさずに誰かに伝えたいと思った。

お付き合い・・・ありがとうございました。