大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

私の通勤路・・・脇本遺跡の辺り

これまでの7年の間、私は三輪山を右に見ながら山辺の道の添った国道を北上して職場へと向かっていた。けれども、この4月の人事異動により職場は大和高原と呼ばれている高地にある職場に・・・

今度は三輪山を左に見ながら東に向かって通勤することになる。

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三輪山は南にむけて山すそを長く伸ばしており、結果、写真のようにやや奥まって聳えるように見える。手前に見える集落は「金屋」。かつて平安人は上街道(上つ道)を南下し、ここから長谷寺・・・さらには伊勢へと向かった。

更に車を進めると、下のような山々が目に入ってくる。

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彼方に霞むように聳える重畳たる山々・・・その向こうに私の新しい職場はある。かつて倭建命(ヤマトタケルノミコト)は

大和は国のまほろば 畳なづく青垣・・・

と歌ったが、まさにその言葉が実感される眺めである。

ところで、今度の新しい通勤路は結構車どおりが激しく、これまでのようにちょいと車を止めて写真を撮れるような場所は多くない。そんな数少ない場所の一つがここ脇本である。

・・・脇本・・・と聞いて、ピンと思い当たる事のあった方は・・・・古代史にはかなり詳しいお方とお見受けする・・・・

「こもりく(隠り国)」と呼ばれた泊瀬の地の入り口に当たるこの脇本は縄文時代からの古い遺跡で、万葉集巻の一の劈頭を飾る

籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜採ます児 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われにこそは 告らめ 家をも名をも

の作者第21代天皇雄略天皇泊瀬朝倉宮もこの遺跡内にあったとも推定されている。     

詳細は以下の朝日新聞デジタル版の記事によられたいが、大和から東国への玄関口であった泊瀬の地の、大和朝廷内における重要さが髣髴できる重要な遺物が次から次へと発掘された・・・そんな場所である。

http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000141203300001