大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

思い出す味・・・鯨肉

こんなことを書くと一部の方からは手厳しいご批判を受けそうな気もするが・・・時々、鯨が食べたくなる。


私の郷里では、東日本最大の捕鯨基地鮎川が近いせいもあって、鯨を食べることはごく日常的なことであった。鯨食自体はこの国の普遍的な文化であり、我が郷里固有のことではないことはもちろん重々承知している。しかしながら、そのことを十分に承知した上でもなお私は上述のようにいいたい。それほど鯨は私たちの食生活に密着していた。

とはいっても、毎日毎日、あの巨大な海洋生物の体の一部が私たちの口に入っていたわけではない。先に述べたこととはなにやら矛盾するような気もするが、鯨肉は私が幼い頃の我が家にあっては(おそらくは隣近所の家々もまた)、やや高級な食材ではあった。なにぶん、海辺の田舎町ということもあって、町中には肉屋というものが存在していなかった。仮に肉(もちろん豚肉)を食べるというようなことがあれば、電車に乗って隣町まで出かけなければなかった。だから、幼少期の我が家においては肉という食べ物は家族の誰かの誕生日にしか食することのできるものではなかった。

したがって、育ち盛りの我が兄弟の肉体を構成するための動物性タンパク質は魚(サンマ・ホッケ・カレイ・塩鮭がほとんど)、貝(主にアサリ・シジミ)によってまかなわれていた。そんな毎日にあって、魚類とはかなり異なった歯触りと風味を持った鯨肉は、幼い私たちにとってこの上もない「ご馳走」であった。

よく食べていたのは「南蛮焼き」。生姜と醤油を主体としたつけだれにつけ込んだ鯨肉を香ばしくあぶる。台所からは何ともいえない香りが漂ってくる。腹を空かせた私たちは、母親が焼き上がった鯨の「南蛮焼き」を大皿に山のように積み上げて持ってくるのを、テレビを見ながら待っていた(しつけのよくない私たち兄弟はテレビを見ながら夕餉の時を過ごすのが日常であった)。

あるいは「塩鯨」。これは主に昼食の友であった。口がひん曲がるほどに塩辛くつけ込んだ鯨の肉だ。これもまたあぶって食する。そしてその横には朝の残りご飯。度を過ぎるほどに塩辛いそれを箸でつまみ、その肉片の端っこをほんのわずかだけ囓りとる。あまりの塩辛さにつばがわきあがる。時を置かず冷めたご飯を口に入れる。そう、冷めたご飯だ。そうでなければあの塩鯨独特の風味とはうまくマッチしない。ただ、夏の暑い日などは・・・細かくほぐしたその肉片を冷めた白飯の上にちりばめ、冷たい水を注ぐ・・・水漬けである。・・・これもまた悪くない。

もう少し齢が長じてくると、その刺身の味も理解できるようになる。マグロの赤身と牛肉の中間を行くような(少々癖がないでもないが)その味には、生姜醤油を用いていた。ニンニクをすりおろしたものを用いることもあったように記憶する。そして、ニンニクも生姜もないときには・・・玉ねぎをすりおろしたものを使ったこともある。いずれにしても鯨の持つあの独特の風味を解消しようというものであることは疑いがない。

けれども・・・同じ刺身でも「尾の身」のそれは別格で、ナガスクジラの尾の実はマグロのトロなども比較に並ぶほどの美味であったように記憶している。こればかりは山葵醤油で食べることが普通だったように思う。最近はそんなものを手に入れることをあきらめているので(西日本で暮らしていればなおさら)、その相場を知ることもないが、かつて塩釜の市場の業者に問い合わせたところ、その問屋の売値で100g7000円を越えていた。かなりの高級な牛肉でなければ、このような値が付くことはない。けれども、それに相応するぐらい・・・美味であった。

マグロの大トロに、あるいは霜のタップリと降った高級牛肉に私は財布の口を広げるつもりはさらさらない。けれども、ナガスクジラのそれが目の前にあった時・・・私は自らの財布の口を絞る自信はない・・・・

 

さて、そんな私・・・ひいては私の同じ郷里にて幼少期を過ごした人々・・・にとって嘆かわしい世の中が、ここ数十年続いていることは皆さんがご承知の通り。「反捕鯨」と称する勢力が鯨はかわいいからと・・・賢いからと、その食用に異を唱えているからで、そんな声を聞いているとその逆の、かわいくもなく賢くもない私などは生きていても仕方がないのか・・・などとついついひねくれた一言を吐きたくなってしまう。

ただ、話がそこの部分において終始しているだけならば食文化の違いがぶつかりあっているだけ(無論これとて認めうるものではないが)であって、たとえばお隣の国にある犬を食べる習慣に嫌悪の情を抱くこの国の人々も大した違いはないじゃあないかと思うのであるが、以下の発言だけはいけない。許すことはできない。

『Japan’s tsunami seems to have succeeded ? where years of boycotts, protests and high-seas chases by Western environmentalists had failed ? in knocking out a pillar of the nation’s whaling industry.』本の津波は、この国の捕鯨産業の大黒柱をぶっ倒し、西側の環境保護団体の長年のボイコットや抗議の失敗を成功に導いたと思われる。

 

どうやらNYタイムズの記事らしいが、はっきりいって、この発言を私には許すことができない。少なくとも人としての良心を持ち合わせている人間であるならば、間違っても口にしてはならない言葉であると思う。どこぞの知事の「天罰」発言などこれに比べればかわいらしいものに思えてしまうほど、私の腸は煮えくり返った。

私の住んでいた町の近くに宮戸島という島がある。ここもそこに存在する集落は壊滅的な損壊を蒙った。しかしながらこの島において死者はゼロ。聞くところによれば、その鯨基地の鮎川からの漁師同士の無線連絡によって津波のそのすさまじさが宮戸島の人々にいち早く伝わったが故であるという。

この島には私の中学時代の友人が今もなお数多く住む。鮎川に住んでいた漁師の誰かは、そんな私の友人の命を救ってくれた・・・かけがえのない恩人なのである。その人の消息を私は知らない。けれども、その人、あるいはその人が住んでいた町の壊滅をこのように評する発言んを私はどうしても認めることはできない・・・