大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

都祁だより・・・都祁水分神社 上

私の職場の南東に、何かかしら時代に置き忘れられたようなこんもりとした木立がある。大和高原の西端、標高400m以上の地に広がる都祁の地は、ただでさえ時の進行がゆっくりと感じられるような場所ではあるが、その中でもこの林周辺には、とりわけ緩やかに時間が流れているように感じられる。

この鬱然とした木立の中、都祁水分(ツゲミクマリ)神社はある。水分神社とは「水分ー水配り(ミクマリ)」の名が示すように分水嶺や水源地に立地し、農耕には欠かすことのできない水を司る神をまつる神社である。大和の地には他にも吉野・宇陀・葛城の地に鎮座し、古来人々の信仰を集めていた。

ここ都祁、友田の地もこの山間の地に降り注いだ雨水が西へ、東へと流れだす分水の地である。写真に見えるなだらかな坂道はその頂点がそれである。 この先まっすぐに初瀬の地へと延びるこの道に直行するように分水嶺はある。

分水嶺 (1)

この坂の頂点より東に降った雨水はこの付近では河川らしい姿をなさないまでも、その坂の頂点より500mほど東の友田池に流れ込み、

林 (2)

そこから流れ出した流れが

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ほどなく、この地より南方2kmほどの地にある都祁山口神社あたりから流れ出した小川と合流し、そのまま2km弱ほど東流した後、北に流れを変え、布目ダムを経て笠置のあたりで木津川に合流し、更には淀川となって大阪湾に注ぐ。

西に注いだそれは貝ガ平山から北流してきた流れと合わさって初瀬川となり、大和盆地に潤し、万葉集にも歌われた明日香川・佐保川をはじめとした、大和盆地を流れるすべての河川を統べて大和川と名を変え、河内平野を経て大阪湾へと注ぐ。

こんな何の変哲もない坂道が壮大な水の旅のすべてを差配する場所であることが、現在に生きる私にすら何かしらいいようのない感慨を与えるものであることからして、水にその生活の基盤のすべてを支えられていたこの農耕の国の民にとって、この一帯は神聖この上のない場所であっただろうことは容易に想像できる。だからこそ人々はこの地に神の存在を信じ、その神の鎮まりたまう社を建てずにはいられなかったのである。他の三つの水分神社も事情はそう変わらない。

前置きが長くなった。そろそろ本題に戻ろう・・・

Photo0033

長い参道が無限に続くような写真になったが、この奥に都祁水分神社はある。創建は飛鳥時代とされているが正確な年代は明らかではない。初め、この都祁水分神社は上記の都祁山口神社の地にあったが、山口神社のある小山戸への参拝道が狭いため、天禄二年(971)現在地に社を移したものだという。祭神は速秋津彦神・天水分神・国水分神の三神で各所にある水分神社の常として水源を守る神、農耕の神として 奈良時代には朝廷内において神社直属の部民「神戸」をたまわるほどの位置付けがあったらしい。

なんてことを考えながら、参道を歩いているとやっとのことで拝殿が見えてくる。

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  よく茂った参道の並木の間から端正なたたずまいのお社が見えてくる。あたりは一層静まり返って、聞こえるのは不如帰の声ぐらいになった。

いよいよ・・・千有余年、都祁の分水の地にあって、大和の地の水を守り続けた神の社が見えてくる・・・ <続く>