大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

大出雲展に行く

昨日、まだ夏季の休業中の私は北に向かって車を走らせていた。いつもよく足を運んでいる平城の地はもうすでに後にして1時間。あと30分ほどで目的地だ。今私の愛車は京都の市内にさしかかろうとしている。竹田十条がもうすぐ先だ・・・

この日私が目指していたのは

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京都国立博物館だ。レンガ造りのこの厳めしい建物で今行われているのが

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大出雲展」だ。古事記が編纂されてちょうど1300年に当たる今年は我が大和の国だけではなく、出雲の国にとっても大切にするべき年であるのだ。日本最古の歴史書とも言われる古事記は上・中・下の3巻仕立て、内訳はよく言われていることを、私なりに表現すると

上巻・・・神話の時代

中巻・・・神と人の時代

下巻・・・人の時代

となるが、出雲の国は上巻の神話の時代の舞台となっている。上巻の叙述の大方3分の1はその舞台が出雲とその周辺ということになっている。これは古代史を考えるうえでもかなり重要な事実と相成ろう。そんなことについては私がここでああだこうだと言わずとも、諸説紛々、「出雲」とか「出雲神話」とか「出雲と大和」などと検索をかけてみれば、諸説紛々の様相を呈していることから、すぐにわかることで、私がここでその詳細をあれこれする必要もないし、当然のことながらその力もない。ただ出雲に対しての憧憬やら思いいれはおそらくは人並み以上にはあるんじゃないかと思っている。

なんとなれば、出雲の神様のいらっしゃる出雲大社が位置している出雲市(旧大社町)と我が居住の地桜井市は姉妹の関係を持った町同士なのだから・・・

私がその氏子として週末には参拝を欠かさない大神神社にいます大物主神出雲大社にいます大国主神は同一神。http://soramitu.net/zakki/?p=660

興味が湧かないはずがない。

おまけに今もなお桜井市の残る「出雲」という大字名の由来、さらには土師氏の集団として大和に移住してきたかとも言うこの出雲氏の技能と、今もなをこの桜井市出雲の地に伝わる出雲人形と呼ばれる土人形との関係は・・・

てなことで、私、三友亭主人は出雲の地に対して並々ならぬ興味関心をかなり以前から持ち続けている。思えば4半世紀以上も前に大学の万葉集研究会のメンバーと訪れた出雲の地の空気は、大和に地からやって来た若者たちをどんな思いで迎えていたのか・・・今もなお気にかかっていることである。

・・・と、前置きが長くなってきた。展示の詳細については上記のリンクをたどってもらえば窺い知ることができよう。以下に私が特に興味を持ったもののみ紹介する。

まず、会場に入ってすぐに目に入ってくるのは真福寺本古事記の上。この本がいかに貴重なものかについては依然述べた。先日奈良の国立博物館において行われた「「古事記の歩んできた道ー古事記撰録一三〇〇年ー」という展示においてその中・下を目にした私は、その上を見ずにはいられなかった。大和についての記述の多い中・下は奈良の博物館で・・・出雲についての記述が多い上はこの「大出雲展」でと分けての展示であったので、すべてを見ようと思えばその両方に足を運ばなければならなかったのである。

続いて・・・

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かつての出雲大社の復元模型である。その高さは4.8m。10分の1のスケールの模型であるから、もとは全高48mの巨大建築だったことになる。

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そのあまりの巨大さゆえ、その実在が疑われ記録上のことだけであると思われていたこの巨大神殿であるが、近年の考古学の成果はこの巨大建築の実在を実証してしまった。

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度を越える太さをもったヒノキ材をさらに3本束ねて1本の柱としていたことを示す跡が発見されたのである。この発見により全高48m(16丈)の巨大神殿の存在が確実視されるようになってきた。

博物館内に私がいたのはほんの1時間。しかしながら、その短い時間の中で私の中に入ってきた様々な感覚は今もなお反芻されている。出雲と桜井・・・一筋縄では行かない関係がそこにはある。ただそのことを素通りしてこの国の発生を考えることなど土台無理な話・・・避けては通れない。

そんな思いを一段と強くさせた1時間であった。

そのうち・・・出雲へ・・・行かねばならぬ。

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