大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

本薬師寺跡へ行く

秋の気配がほんのわずか、朝に夕に感じられだしてきた・・・今は8月の末。毎年のように訪れる場所がある。橿原市にある本薬師寺跡だ。「跡」ということもあって、そこにあるのは金堂があったと思われる一画、そして日本で初めてという二つの塔(それ以前の寺院は一寺一塔)の基壇跡。そしてその片方、東棟に残る心礎のみである。

はっきり言ってこれと言って見栄えのするものは何も残っていない。朝夕にやや涼しさが感じられるとはいえ連日35℃に及ぶ暑さが続く・・・そんな中で何故そんな場所を訪れたのか?その理由は・・・

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ホテイアオイである。小学校の時だったか理科の教科書にその名が出ていた外来植物を見るために、毎年この時期になるとカメラをもってこの寺を訪れている。

地元の小学生にによって休耕田に植え付けられた14000株のホテイアオイは最盛時には

4万株にも増殖する。http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/hanadayori/hoteiaoi.html

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薄紫の絨毯・・・こんな月並みな表現でしか言い表せない光景がそこには広がっている。

さて、ここが本薬師寺跡である証拠に・・・

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東塔の基壇跡だ。実際に足を運ぶと、未だ残っている心礎の姿を見ることができる。

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さて、上の東塔の遠景を撮った位置で回り右をすれば、当然のことながらそこには西塔跡があることは容易に想像できよう・・・・

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西塔の向こうに聳えているのは大和三山の一つ畝傍山である。

そう・・・畝傍山は、本薬師寺の東西の塔の延長線上に正確に位置しているのだ。いや、正しくは、本薬師寺の東西の塔は畝傍山の位置を(それもその頂の位置を)極めて正確に意識して配置されているのだ。

・・・と、ここらあたりに話が及ぶと、ちょいと古代史に興味がおありな方々はその先を知りたくなって来る・・・かもしれない。

薬師寺は・・・現在西の京にある薬師寺が最初に建てられた場所である。680年、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願し発願された寺で、その建設は天武天皇の死後も続けられ、698年にはほぼその造営が完了したものと思われている。

710年に都が藤原京から平城京に移されるにあたって本寺も718年に現在地に移転ということになるが、この西の京に新しく遷された薬師仏を祀る寺の金堂の位置をまっすぐに南下すると・・・そこにはやはり畝傍山(そしてこれもまたかなり正確にその頂)がある。

現存の薬師寺もやはり畝傍山を意識して作られたことは疑えない。

ならばなぜ薬師寺はかくも畝傍山を意識して作られたのか・・・考えられなければならない・・・ということで私は以前私なりの見解をブログ上で展開したことがある。まだこのブログを北窓三友と名乗っていた頃に事である。その頃の記事はすべて捨ててしまい今は公開されていない・・・

・・・が、断片的なものならば今もなお下書き程度のものがテキストの資料として我がコンピューター内に存在する。次回はそのあたりを整理しなおしてみたいとおもう・・・・

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