大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

空が青いから・・・

この週末はちょっと風変わりな場所に出かけた。
その場所にたどり着くとまず目に入るのは、その歴史の古さを感じさせる重厚な煉瓦造りの壁面である。

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右を向いても

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左をみても延々と赤みを帯びた褐色の壁は続いている。

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はて・・・と何かお感じになられた方もすでにいらっしゃるかと思う。ご想像通り、この壁はいわゆる塀の中の面々と我々の居住する娑婆とを隔てるあの壁である。

奈良県庁の東を北に延びるその道をそのまま進んで行けばかの剣豪がその名を高からしめる柳生の里。その道を県庁の北、1km弱でそれると程なく奈良少年刑務所はある。明治41年の竣工のこのロマネスク様式の構造物の設計者はかのジャズピアニスト山下洋輔氏の祖父山下啓次郎である。先年、その竣工百年を記念し、山下洋輔氏がコンサートを開いたことをお聞き及びの方もおられるかもしれない。

今回この場所を訪れたのは、毎年この時期行われている「矯正展」という一般公開行事があることを知ったからだ。会場ではその指導内容が紹介されたり、受刑者の絵画や文章が紹介されたり、本館前の広場を中心とした場所では、国内各地の刑務所においてその受刑者が更正のために身につけた技術のほどを示す様々な物品が販売されている。

もちろん私の目当ては、物品よりもその指導内容やその文章にあったのだがそのきっかけとなったのがこれだ。

この少年刑務所における更生教育の成果の一つである。いつのことだったか失念してしまったが、ある日私が仕事から帰ると今のテーブルの上にこの本が置かれてあった。妻に聞いてみると、妻の知り合いであるこの施設の職員の方が送ってくださったものだという。以来、この施設の住人たる若い人々の言いしれぬ「哀しみ」が私の心の一角に居座るようになった。

最近になって上記の催しがあることを、新聞に寄せられた「空が青いから白をえらんだんです」の編者寮美千子さんの一文により知って、かなり興味を惹かれていたところ聞けば妻も同じ思いだという。ならば行かぬ手はない。

9月9日日曜日、朝10時、私は奈良に向けて車を走らせた。

たどり着いた少年刑務所を取り囲む塀の長さに私はこの施設の広大さを知ったが、その中にいる若者にとってはその広大さも限りあるものに過ぎない。

正門から前庭に入る。たくさんのテントが並び、様々な物品がそこには並んでいた。盛況であった。催しが催しであるがゆえ、何かもの寂しい会場を私は想像していたのだが、予想は見事に裏切られた。 しばしの間、日本各地の刑務所の住人たちの技術の見事さを示す物品に目を奪われていたが、それもしばしの間。

私はこの施設における指導内容や、受刑者たちの文章の展示されている体育館に・・・

会場には様々なコーナーが設けられ、その一角にはくだんの寮さんのコーナーも。そこには寮さんご本人もおられ、訪れる方々の対応をなさっていた。そしてその背後に受刑者たちの詩が・・・

いわゆる芸術としての詩とは別に、詩という文字には「心の進むままを、言葉にあらわしたもの」という意味がある。寮さんの背後のついたてに張られた受刑者たちの言葉はまさにその詩の原初的な姿があった。心に移りゆく様々なことを言葉として書きとめるという作業は優れて内省的な作業である。あと少し、彼らに言葉たちを自分のものにする力を身につけていたら・・・

そんな風に思わずにはいられなかった。

言い知れぬ「哀しみ」がそこにはあった。受刑者たちの悔恨、絶望、苦悩・・・あらゆる感情がそこに静かにとどまっていた。

と同時に、その受刑者によってもたらされた「悲しみ」にうちひしがれているであろう人々への思いも私には湧き起こってきた。 こんな「哀し」い言葉をものした受刑者たちによって、長く「悲しみ」の底にうち沈む人たちの存在も私たちは常にその意識の中にとどめていなければならない。

加害と被害・・・近年とみにかまびすしく語られている事柄ではあるが、残念ながら私はこの事柄に自信を持って発言する定見を持ち合わせてはいない。ただつい最近ではあるが私があれこれ考えても定見にどうしてもたどり着けないこの事柄に関する道筋を示してくださる文章に出会った。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/933dfa8ccf174161432bea55392807a5

長い文章であるが、よければご一読願いたい。私が長く心の中に形を与えることができぬまま閉じ込めておいた思いがそこにある。ただ世の中、「寛容」という言葉だけではやり切れぬものがあることは私にだってわかる。実は上記の文章はこの文章の主が別の場所で書いたものを本来の自分のブログに転載したものなのだが・・・

http://blogos.com/article/45629/?axis=b:449

転載であるから、文章は全く同じものである。注目してほしいのは、それぞれの場に寄せられたコメントの質の違いである。

前者はこのブログ主の本来の場所であるから、そこに集まってくるのは当然ながら、ブログ主の考えに共感を覚えている方が多いのだろう。それに比して下の(BLOGOS)に寄せられたコメントは・・・

しかしながらこれも多くの人々の持つ考えであることは否定できない。

この食い違いは論理ではなく感情に依拠したものであるゆえ、一方がもう一方を論破すれば答えにたどり着くといった質のものではない。かく語るわたしすら、自らの身内が犯罪の被害にあったとしたならば、この心のうちにいかなる感情は湧き上がるか保証はできない。

しかしながら・・・

そうはあっても、「Everyone says I love you !」の主を支持すると言いたい。非常に自分勝手な理由でもあるのだが、私はそんなに自分の強さに自信を持ってはいない。ついうっかりと犯罪に手を染めることがないとは限らない。あるいはどうしようもない環境に追い込まれ・・・やる場のないような憤怒に取りつかれて塀のうちに住む人とならないとは言い切れない。そして、自らの愚かな行いにどうしようもない「哀しみ」にさいなまれながら生き続ける人となるやもしれない。

自分で自分を責めて生きている・・・そんなときせめて周囲の人には寛容であってほしいじゃあないか。