大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

自転車に乗って・・・春日神社

小夫天神社の話が長引いてしまい週遅れになってしまったが、先週の土曜日朝の8時過ぎ、以前より気になっていた神社を訪れようと、私は自転車のペダルをこぎ始めた。自動車で行くには近すぎ(しかも車を止める所もありそうもない)、歩いてゆくにはちょいと遠すぎる・・・そんな位置にその神社はある。

私は家を出て若干の距離を南下した後、初瀬川を遡るかのように東に向かう。ここで私は自転車を選んだことを少々後悔する。川を遡るということは、すなわち登り坂が延々と続くことを意味する。それは確かになだらかな斜面には過ぎない。しかしながら、その3㎞弱続く上り坂は最近とみに衰えがちな私の脚力にとってなかなかの難敵であった。

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道の左には豊かな秋の実りが・・・

これは先週の写真だから、今頃はきっとこの稲群も黄金に染め上げられ、あるいは今日その刈り入れの日を迎えるのかもしれない。

豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(トヨアシハラノチアキナガイホアキノミズホノクニ)・・・

なんて言葉を思わず想起してしまう。こんな言葉を思わず想起するなんて三友亭は右寄りか・・・なんて思われそうだが、それは当たらない。この豊かな実りは左利きにとってこそ、思わず褒め称えたくなる風景なのだ。なんといっても左利きの左利きたる大好物の材料は「米」。その実りが豊かであることは左利きにとってうれしい限りのことで、こんな年が「千秋長五百」の長い間続くことを願った我が国のこの古名は、まさしく左利きのためにこそ存在する言葉なのだ(笑)。

先週の土曜日はちょうど彼岸の中日。例年ならば、大和の野辺の多くがそうであるように、この辺りの畔も曼珠沙華の紅に染められているのだが、今年はその咲き具合がちょいと遅く、ところどころに紅が点在するのみであった。

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ススキの方は例年通りか・・・

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そして目的地へと辿りつく。

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その創建の時期は分からない。境内の案内書は

春日神社本殿    (県指定文化財) 三間社春日造で、身舎の側面は二間からなり、前面吹放とし、後面梁行に三口の板扉を設けて身舎としている。身舎の正面と両側面には縁を付け、背面両端柱には脇障子を取り付け、縁高欄を巡らしている。向拝には浜縁を設け、正面中央一間に、五級の木階と登り高欄を取り付けている。屋根は桧皮葺である。 本殿は組物・虹梁など、細部の手法がすぐれた三間社春日造であり、棟木銘から慶長8年(1603年)の建立であることが明らかで、貴重な建造物である。

と、その本殿の由緒を示すのみである。

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正面には拝殿があるため、こうやって横からしか拝見できない。祭神天児屋根命、太玉命、天宇受受命、太玉命、天宇受受命の御三方。どのお方も天照大御神が岩戸の中に引きこもってしまわれた時に、その岩戸から出ていただくために大奮闘をされたお方である。

拝殿を正面から見る。

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なかなか端正な作りである。

そして・・・これは・・・

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ひょっとしたらこのブログをご覧いただいているかもしれないホシナハウスの御主人のために、この2枚を・・・

さて、帰り道である。今度は下りだ。しかも急すぎない下り故、ゆっくりと周囲の景色を楽しみながら自転車を走らせることができる。

チョイと道をそれ、国道165の方に曲がる。

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発掘中の遺跡だ。

先日の記事で紹介した脇本遺跡から50m程西に当たる場所だ。通勤の際、このブルーシートを左に見ながら東へと向かっているので、いつも気にかけていた。例によって交通量の激しい場所なので、近くに車をとめてつぶさに見学する機会がなかった。今日はせっかく自転車で来ているのだからと、こうやって立ち寄り写真を一枚・・・というわけである。

はてさて、いったい何が出てくるんだろう・・・と思いながら私は再びゆっくりと自転車を走らせた。

・・・とその翌々日である。夕食時、いつものように「麦とホップ・黒」のふたをプシュっとあけたとき、ブラウン管からこの場所で「石積みの護岸」が発見されたとのニュースが入ってきた。詳細を伝えるだけの筆力は私にはない。詳細は以下のリンクによられたい。

http://mainichi.jp/feature/news/20120925k0000m040021000c.html毎日新聞9・24)

発掘作業を土日に行っていなかったことを思えば、月曜日のこの奈良県橿原考古学研究所の発表はすでに前の週には用意されていものであろう。ということは、この青いシートを一枚めくれば、雄略天皇の御代の石積みがそこにあったということになる。