大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お散歩・・・10・6

今日はいつもの週末のお決まりのお散歩。コースはいつも通りの平等寺大神神社ー狭井神社ー久延彦神社ー大直禰子神社、そして最後に三輪坐恵比寿神社である。

ただ今日は持ち物がいつもとは違う。いつもならポケットに少々のお賽銭用の小銭、そして800万画素のカメラ付き携帯電話を入れただけで家を出るのだが・・・

そう・・・先日購入したばかりのおニューのカメラが私の肩にぶら下がっている。購入した翌日こそ、喜び勇んで車に積んで、仕事先ににもお付き合いいただいたが、毎日そんなことをするわけにもいかない。ここ数日は、そのマニュアルを読むだけで、カメラ自体には触っていなかった。

家を出てすぐに平等寺へと続く長い坂を上る。途中、先日まではちらほらとしか咲いていなかったコスモスが、秋のさわやかな冷気の中、その生命力を充分に発揮していた。

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コスモスの向こうにぼやけた感じで写っているのは、いつぞや紹介したお勧めの空き物件である。

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まだ小さかった息子たちとこの家の前を通りすぎるとき、その前栽の一角の駐車場には、やや古風なジャガーが止まっていたのを覚えているのだが、いったいいつからこの家が空き家になってしまったのか全く記憶がない。ただ、その空き家となってからの年月の長さを語るかのように、前栽は荒れ放題に荒れ、やや狭めだった駐車場はその跡形さえもない。

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坂を上りきったところにある平等寺山門横の道標だ。そして、この古風な道標のはす向かいにはまことに現代的なそれが・・・

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その矢印に従うわけではないが、私はいつものように大神神社へと道を北に進む。

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毎度おなじみの拝殿ではあるが、、さすがに今日はいつもと写り具合が違う(様な気がする)。ズームの具合を試してみる。

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これはやはり携帯電話のカメラとは違う。そんな高価なカメラではなかったが、それでも購入した甲斐があると思った。

大神神社、さらには狭井神社を後にして、ちょいとした野道には行ったとき道端に咲く曼珠沙華に目が惹かれた。

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実に深い色であった。上に述べたように大和はすでにコスモスが盛りの季節。曼珠沙華はその盛りを過ぎて、無残な姿をさらしているものが多くなってきたが、この見事な色彩はどうだ・・・と思いシャッターを切った。私がその時感じた「色」をお伝えできているかどうかは自信がない。ここ数日、マニュアルは読んでみたものの、50を過ぎた私の頭脳にはなかなか新しい知識が入ってこない。結局は、現場であれこれ試しながら写すしかなかった。新しいカメラの機能を十分に生かし切ったかどうかはなはだ心もとない。

息を切らして小高い丘の上にある久延彦神社に向かう。

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遠く葛城・金剛が見える。

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レンズをやや北に移動させ、少々ズームをきかせ二上山を見る。これもまた携帯電話についたカメラでは写しえない映像である。

最後に大直禰子神社。

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手前両脇の狛犬から、一番奥に控えるお社まで・・・この奥行はやはり以前のカメラでは出せないものであったように思う。画面がやや右に下がっているのは・・・もちろん私の技術不足である。

この後テクテクと三輪坐恵比寿神社まで移動し、いつものように世界平和を祈念して今日の私の散歩は終了したが、この散歩の中で私はあることに気が付いた。

それはこうやってカメラをぶら下げて、あちらこちらをパチリパチリすることは、案外度胸がいるということである。前だったならばカメラはポケットの中にあり、必要な時に取り出してパチリとするだけだったので、ご近所さんの目には、また三友亭がいつもの散歩をしている・・・ぐらいにしか映らなかっただろうが、今日は違う。

こんな近所を散歩するのに、この男、なんでカメラなんてぶら下げているんだろう?・・・というような奇異なものを見るがごとき視線が、ゆっくり被写体と向き合う時間を私から奪った。

あまり、構図やら、カメラの設定を考える間もなく私はシャッターを押していた。

これからは、この視線とも付き合っていかなければならない・・・というより、カメラをぶら下げて歩く私の姿にご近所さんが慣れていただかなければならない。非常に狭く、保守的なこの三輪の町、これがなかなか難しい問題だ。