大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お散歩・・・10・7(明日香板蓋宮)

真神の原に足を踏み入れた私が最初に目指したのは明日香板蓋(イタブキ)宮である。

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今はかような姿しか残してはいないが、かつてここに天皇が住み、群臣が・・・そして諸国からのもうできた人々が集っていた。舒明天皇の皇后宝皇女は、夫舒明天皇崩御の後、即位(642年1月)すると、同年9月19日、大臣蘇我蝦夷に新たな宮殿を作るよう命じた。これが板蓋宮である。

そしてこの宮殿の名を、この国の歴史に名を高からしめている事件が645年6月12日に惹起する。大化の改新の嚆矢となったクーデター(乙巳の変)である。詳細についてはあまりに有名な事件なのでここではあえて語らずにおこう。どうしてもというお方は、下のリンクを見ていただければと思う。ただし、日本書紀の原文である。覚悟してクリックしていただきたい。

http://soramitu.net/zakki/?page_id=1997

・・・書き下しはないのかって?

無理です。そりゃあ、時間をかければ何とかなるでしょうが・・・もちろん、手元にある日本古典大系のものを参考にしたっていいのだが、これだけ漢字が多いと打ち込むのだってかなりの時間がかかる・・・

ともあれ、645年6月12日、専横を極めた蘇我入鹿はこの場所において誅殺された。首を跳ねられたのである。そして、この日を契機に大化の改新と呼ばれる政治革新はここに始まる。このクーデター後、皇極天皇は退位し、軽皇子は即位し、孝徳天皇として難波に都を遷す。

さて、飛鳥寺へと足を運ぶことにしよう。

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田んぼの中を過ぎるよく整備された道を北に進む・・・と、わずかに歩みを始めたばかりのところ、粗末な看板に張ってあったのがこれだ。

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明日香板蓋宮を含めた飛鳥京の復元図だ。

右手に飛鳥寺が見えてきた。

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二番目の目的地、蘇我入鹿首塚は間もなくである。

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広々とした田圃の中にぽつりと立っているこの五輪の塔が、蘇我入鹿首塚と呼ばれている代物である。先ほど紹介した明日香板蓋宮からは7~800mは離れているが、板蓋宮ではねられた首がここまで飛んできたのだという・・・・

ただ、この五輪が飛鳥寺の西門の延長線上にあるが故、何かしら別な想像もかきたててくれることは否定できない。

<続く>