大和逍遥   

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お散歩・・・10・7(飛鳥寺)

10月7日のお散歩の記事もやっとのことで最終目的地の飛鳥寺に到着。これまで述べたように、蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺がその前身である。本尊は「飛鳥大仏」と呼ばれている釈迦牟尼仏蘇我馬子の開基になる。またの名は元興寺ともいい、平城京遷都の後はそちらの方に遷された。しかし、その後も同じ場所にその本尊たる釈迦牟尼仏を祀る堂宇は維持されたのであろう。その名残の、現在明日香の地に残るこの小寺院の正式名称は、安居院(アンゴイン)。これが今、飛鳥寺と呼ばれている寺院である。

上に述べたように、法興寺(飛鳥寺)は、6世紀末から7世紀の初めにかけて開基された寺院で、同村豊浦の豊浦(トユラ)寺と並んで我が国最古の本格的仏教寺院と言われている。日本書紀には推古天皇の4年(596)11月の条に

法興寺を造り竟(オハ)りぬ

とあり、さらに、蘇我馬子の子の善徳が寺司となり、恵慈(高句麗からの渡来僧)と恵聡(百済からの渡来僧)の2名が住み始めたとされる。とすれば、この寺の創始は596年ということになるが、事は簡単ではない。

飛鳥寺といえば上にも書いた釈迦牟尼仏(通称飛鳥大仏)が有名だが・・・

飛鳥大仏

ちょいと大きな写真にしておいたので遠慮なく手を合わせていただきたい。

推古天皇13年(605)、天皇の命じられ聖徳太子蘇我馬子等は銅(アカガネ)と繍(ヌイモノ)の「丈六仏像各一躯」の造立を始めた。仏師は鞍作鳥(クラツクリノトリ)。日本書紀によれば、この「丈六仏像」は翌年完成だという。丈六銅像を、先に完成していた法興寺(飛鳥寺)金堂に安置しようとしたが、この御仏が余りに大きく、戸を壊すことが考えられた。が、鞍作鳥が一計を案じて、戸を壊さずに安置することができたという。

但し、近年の研究によればかような巨大な仏像が1年で完成したことは考えにくく、元興寺伽藍縁起并流記資財帳」にある「丈六光銘」に・・・戊辰の年(608)に隋の使者裴世清(ハイセイセイ)らが来日して黄金を奉り、「明年」の己巳年(609年)に仏像を造り終えた・・・との記事に従うのが合理的ではないかということだ。

ということは、この寺に本尊が安置され、寺院としての機能を果たすようになったのは、本堂の完成に贈れること13年、609年ということになる。

いずれにしろ丈六の釈迦牟尼仏は千四百年前に今ある位置に安置され、一歩も他所へはお動きになってはおられない。その長き歳月に比べれば、ほんの4,5年のくるいは、私にとってどうでもいい。この同じ場所に千四百年もの間座り続けていらっしゃったということ自体にすでに尊い価値があるのだ。

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けれども、今日は本堂内に入っている時間はない。御仏の鎮まりいます本堂に外から祈りを捧げただけで私はこの日本最古の寺院を後にした。

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飛鳥寺からは車を預けておいた万葉文化館までほんの10分。

今まで一度も気が付いたことのない店が目に入った。

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何とも言えぬ風情を感じさせるお店である。

こんな場所にこんな蕎麦屋があるなんて今まで気が付かずにいた。不覚といえば不覚・・・この次にこの辺りを訪れた時は・・・きっと・・・