大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

春日大社へ行く・・・2

二之鳥居を抜けて、祓戸神社に手を合わせ俗世の穢れを祓った後は春日の御神の御許に向かうのみ・・・

・・・と、その前に、最近お決まりになりつつある狛犬さんだ。

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千古の歴史を持つ古社の狛犬さんであるから、さぞや由緒のある狛犬なのだろうと思って、台座の銘を見たら、昭和43年の奉納とあった。なあ~だ、私より八つも若いじゃあないか、とは思ったが、そのお顔をよくよく見つめてみれば、その瞳の奥に何かしら近代の知性のきらめきの様なものが窺えるような気がしないでもない。

ただいくら若いと言っても、そこには40数年の歳月が通過している。ところどころ苔むし、一定の古びもないことはない。そんな古びを見ていると、それよりも8年も長く生きている私に身体に少々ガタがきているのも無理はないのだなあなんて妙に納得してしまう。ただ、内臓だけはいまだ健在で、アルコールの摂取には何ら支障を感じていないことを感謝することにしよう。

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春日大社は、灯りの社である。その長い参道に、そしてその回廊に幾千もの燈籠が・・・

これらの燈籠に年に二度、一斉に火がともされる日がある。

「万燈籠」だ。

この社には石燈籠が約2000、釣燈籠が約1000の合計約3000基がある。中には全国で2番目に古い石灯籠といわれている伝関白藤原忠通奉納の「柚木燈籠」(1136)や藤原頼通の寄進と伝わる「瑠璃燈籠」(1038)なんてのもある。私もいつだったか、伊達藩藩主伊達何某と刻んだ釣り灯籠を見つけ、妙な感慨に襲われた覚えもある。平安末期より、この平成の御代に至るまでの、人々の数限りない祈りの数をこの約3000基の燈籠の数が示している。むろん、燈籠の奉納などには思いも及ばぬそう豊かではないき人々の数限りない祈りもその背後にあることは言うまでもない。

そして節分の夜、そして中元の夜にこれらの燈籠に一斉に火がともされる。記録には、興福寺大乗院の尋尊僧正の日記に、文明7年(1475)7月28日、「祈雨のため、南都の郷民、春日社頭から興福寺南円堂まで、燈籠を懸く」とあり、当時は木の柱に横木をつけ、それに行燈か提灯の様な手作りの仮設の燈籠を懸け行っていたと考えられるが、現在あるような形で行われるようになったのは節分のそれは明治21年、中元のそれは昭和4年のことだという。

参道に長々と続く、石燈籠の列を横に見ながら歩く事、ほんの数分。南門が見えてきた。

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この向こうにはいらっしゃるのが春日の御神である。

<続く>