大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

春日大社へ行く・・・3

秀麗な・・・それは秀麗な春日大社南門をくぐる。

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まぶしいばかりの朱が、晴れ渡った空の青と周囲を取り巻く深々とした緑の中、ひときわ鮮やかに私の目に染み入った。南門は春日大社正面の楼門で、表参道から回廊内に入る時に必ずくぐらねばならぬ門で、いくつかあるこの神社の門の中で、唯一一般参拝客が使用できる門だ。 高さは12mあり、いくつかある春日大社門の中では最大のものである。

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南門を抜けて正面に見えるのが拝殿・・・いや、幣殿と舞殿だ。 東側二間が幣殿、西側三間が舞殿である。幣殿は天皇からの御幣物を一旦納める建物で、その天井板を格天井として、舞殿と区別している。舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所ででもある。

一見、拝殿と勘違いしてしまいそうな位置に、この社殿はあるが、ここ春日大社に拝殿は存在しない。一般参拝者はこの幣殿と舞殿の手前から春日の大神に祈りをささげることになる。右手にある受付で手続きをすませれば上に上がって、本殿間近の中門の手前から祈りをささげることができる。とはいえ、ここ春日大社は東西南北の回廊の内側に、御廊によって二重に本殿が取り囲まれていて、手続きを済ませた特別参拝の場合でも、その御廊の外からの参拝ということで、その本殿の姿は見ることはできないようになっている。

ということで、ここでその本殿の御姿をお示しすることはできないが、どうしてもというお方はこちらをクリック願いたい。

http://www.kasugataisha.or.jp/guidance/map/k_map01.html

通常、本殿は拝殿の向こう側にあるものとの思い込みが私にはあるが、そもそもこの春日大社にはその拝殿がない。幣殿と舞殿の向こうにあるのは林檎の庭と呼ばれる御庭で、儀式の際、舞楽や神楽が舞われる庭である。東南の隅に林檎の木がその名の由来であるが、この木はおよそ800年前、高倉天皇の献納されたものだと伝えられている。

そしてその林檎の庭の西の隅に高くそびえている大杉が、上の私の写真からも確認できるかと思う。社頭の大杉である。周囲8.7m、高さ25mの大木で、樹齢は800年~1000年程かと推定されている。

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さて、まばゆいばかりの御廊に守られた本殿にいます神は

武甕槌(タケミカヅチ)命 藤原氏の守護神
経津主(フツヌシ)命 藤原氏の守護神
天児屋根(アメノコヤネ)命 藤原氏の始祖
比売(ヒメ)神 天児屋根命の妻

の四神である。

平城遷都のあった710年、藤原不比等藤原氏の守護神鹿島神(武甕槌命)を、国家守護の神として春日の御蓋山(ミカサヤマ)に遷して祀ったのが、この神社の創始であるという。そして現在の様に上の四神を御笠山の中腹に祀るようになったのは、社伝によれば、768年称徳天皇藤原永手勅命を下し、鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営させたのがその始まりだという。

茨城県と千葉県の境に位置する霞ヶ浦は、古代は奥深く入り込んだ海だったというが、その入り口の部分をはさみ込むようにして“鹿島・香取の両神宮”が鎮座している。古くから「鹿島・香取の神」と称され、深い関係で結ばれていたらしいが、武甕槌命経津主命の関係を考えれば、素直に肯んぜられるべきことかと思う。武甕槌命はかの出雲のおいての国譲りの際に、大国主と交渉を重ねたご当人。そして経津主命武甕槌命がその時に腰に帯びていた霊剣を神格化した神である。この二神は切っても切り離せない関係にあるのだ。

ただ、この二神を藤原氏が祀り、自らの守護神としていることについては少々腑に落ちないところがある。なぜわざわざ鹿島・香取の様な当時にしてみれば、辺境の地から神を呼び寄せる必要があるのか。殊に、その神剣経津主命自体は物部氏の祀るところの石上神宮のご神体。乃ち物部氏の守護神であるべき神。それをなぜ藤原氏が祀るようになったのか・・・

経津主命については、蘇我氏との争いで急速にその勢力がしぼんでしまった物部になり代わって、神を祀ることを旨とする家柄の中臣氏が自らの守護神で取り込んだと考えることができよう。

ならば、武甕槌命は・・・元々は常陸に住んでいた多氏(オホノウジ)が信仰していた鹿島の国津神(土着の神)であって、海上交通の神として信仰されていたらしい。さらに、神祀りを旨としていた中臣氏が鹿島を含む常総地方の出身であったことから、古くから武甕槌命を信仰していたことが予想される。それが故に、不比等平城京に春日の地に神の社を作ろうとしたとき、鹿島神を勧請し、一族の守護神としたのではないか・・・なんて言う説もあるようだ。

いずれにせよ、武甕槌命経津主命その経歴を見れば、武神であることは明らか。故に大和朝廷による東国侵攻の最前線にあった鹿島・香取の地にこの二神が祀られていたのだが、そのような神が都の守り神にならないはずがない。

・・・そして今も・・・春日の御神は平城京の東の果ての小高い地におわし、今もなおこのかつての都を守り続けている・・・