大和逍遥   

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国津神社(桜井市箸中)

国道169線を大神神社の大鳥居のやや北で右にそれて、上街道(旧天理街道)を北上する。昔ながらの街道がどこでもそうであるように、そう広くはない道だ。自動車2台がようやくすれ違える程度の広さだ。道の両側の集落の名は芝。旧織田藩の中心地である。

http://soramitu.net/zakki/?p=312

道の前方に巨大な墳墓が見えてくる。邪馬台国女王卑弥呼の墓とも言われている箸墓古墳である。近づくにつれて墳墓はその巨大さをますます示してくるが、私はその直前の交差点を右にそれる。交差点を行っても、その旧街道と交わる道は自動車1台がやっとの事で抜けられるほどの狭さだ。ここもしばらくの間は両脇に家並みが続く。

やがて道は緩やかに左に曲がり、再び真北を向いたかと思うとまた右へ・・・すなわち、東に向かってその向きを変える。その地点から100mほど進んだところに今日のお目当ての御社はある。

国津神社だ。

国津神社

辺りには車を止めるべき場所もないので、少し先までいって、ホケノ山古墳の駐車場で自動車を降りる。神社のすぐ前を流れるのは巻向川。かの古代都市、纏向を支えた聖なる川である。

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その巻向川沿いの道に添って正面にまわり、鳥居をくぐる。両脇にまず一つ目の狛犬さん。そう古くはない。明治12年9月建立の銘がある。

I国津狛犬右

国津狛犬左

この辺りの地名は箸中(その名の由来は当然箸墓にある)。氏神は巻向川上流にある檜原神社であるが、ここ国津神社も産土(ウブスナ)と呼ばれ、地域の信仰を集めていること、この立派な御社を見れば容易に想像できる。静かで落ち着いた佇まいの神社である。

国津拝殿

拝殿横の壁面にに示されている社伝によれば、御祭神天津彦根命(アマツヒコネノミコト)、天忍穗耳命(アメノオシホミミノミコト)、活津彦根命(イクツヒコネノミコト)、天穗日命(アメノホヒノミコト)、熊野樟日命(クマノクスヒノミコト)の五神で、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)を併せ祀るということ。

古事記によれば、先の五神は天の安の河原の誓約(ウケイ)の際(後日詳述するつもり)に、天照大御神素戔嗚尊が、天照大御神が身に着けていた勾玉受け取り、それを噛み砕いてき、吹き出した息のしぶきから生まれ出でたる神で、もともと勾玉を所持していた天照大御神の子とされる。かといって、素戔嗚尊も無関係とは言えない関係にあるので、ここに合祀されているのだろう。

・・・と、前置きはここまでにして、いよいよ本題だ。拝殿の横を抜けて本殿の前に出る。

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控えめな大きさの、けれども十分すぎるぐらいに端正なお社が厳かな瑞垣に囲まれてそこに立っている。この慎ましやかな御社の中に天照大御神の御子は鎮まりいます・・・

そして私のお目当てはこの瑞垣の中にある。私のような俗人はこの聖域には足を踏み入れることはかなわぬ。よって、瑞垣の隙間から遠目にその目的物にレンズを向けるのみである。

まずは御社の前にいらっしゃる狛犬さん。

本堂した右

本堂した左

こちらはちょいと古い狛犬さんだ。嘉永6年(1853)というから、ほぼ160年前の代物だ。ざっと私の3倍はこの世に身をながらえていらっしゃる。

そして・・・、今回の最大のお目当ての代物をいよいよお目にかける。それは本殿の御社の扉の前にそっと置かれてあった。

狛犬4

I狛犬3

御社にさしこむ光線の加減でだいぶ違った色合いになってしまったが、一対の狛犬(と呼んでいいのだろうか)である。身の丈は、20cmほど。これが何時のものかは、近寄ることあたわぬゆえしかとは確認できない。陶器なのだろうか・・・それとも、木地に塗色したものだろうか・・・材質はよくわからないが、彩色の施された狛犬さんだ。その御顔が何とも言えずかわいらしい。

ところで、この国津神社は北緯34度32分線上にある。いわゆる太陽の道だ。太陽神天照大御神の御子たちの御社の存する位置としてはまさに適地。母神天照大御神を祀る檜原神社もこの真東、800mほどの場所に鎮まりいます。そして、その西方200mには箸墓が・・・