大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

九日神社

国津神社のかわいらしい狛犬さんを眺めた後、社前を流れる巻向川を下る。その距離700m(あくまでも感覚的にだが)。途中、二つのため池があって、その三つ目のため池の南側にご覧の様な林が見える。

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九日神社だ。その祭礼日は10月9日。だから社名が九日なのか、社名が九日だから、祭礼日が9日にに定められたのか・・・とにかく境内が狭いゆえこれ以上下がれず・・・そう大きくない拝殿の両端が入らなかった。

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ところで、この九日神社という名は、どちらかといえば愛称のようなもので、その正式な名称は国津神社。先日紹介した御社と同じ社名である。先日紹介したのが箸中の国津神社。今回のそれは芝の国津神社ということになる。祭神は多紀理比売命(タキリヒメノミコト)、狭依理比売命(サヨリヒメノミコト)、多岐津比売命(タキツヒメノミコト)の三女神だ。狭依理比売命は、その別名の市杵嶋姫(イチキシマヒメ)の御名の方がよく知られているであろう。かの日本三景の一つ、安芸の宮島厳島神社祭神だ。この三女神、福岡は宗像大社に祀られており、大陸への海上交通・・・すなわち玄界灘の守護神として古来朝廷より篤い信仰を受けていた。日本書紀が引用するところの「一書」には、

天照大神が「汝三神、道の中に降りて居して天孫を助け奉りて、天孫の為に祭られよ」と言った。

とある。分かり易くいえば、天照大御神がこの三女神にむかって「お前たちは道の中(半島への重要な交通路)に降臨し、我が子孫(天皇家の人々)を守護せよ。」と命を下したのだ。そして三女神が降臨したのが宗像の地。

そんな三女神がなぜ大和の桜井のこのような場所に・・・

ということで、前回の記事に出ていた天の安の河原の誓約(ウケヒ)の話を思い出してほしい。その時私は、この物語の詳細は後日ということにしていたので、今回その大筋を語りたいと思う。(知っている方はどうぞすっ飛ばしてください。)

伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)の夫婦神の決別の跡に生れた素戔嗚尊(スサノヲノミコト)は、その髭が胸に届く様な年齢に至っても、会えぬ母伊弉冉を恋うて泣き叫んでばかりいた。手を焼いた父伊弉諾は素戔嗚を呼び寄せて泣き叫び続ける理由を糾す。素戔嗚は云う「黄泉の国へと行って、母に逢いたい・・・」と。伊弉諾は激怒し「勝手にしろ」ということになる。

形はどうあれ父の許可を得た素戔嗚は高天原を統治する姉天照大御神に一言挨拶をしてから出かけようと、高天原に向かう。天照大御神は粗暴な弟神素戔嗚がやってくることを知り、この高天原を奪いに来たのではないかと、完全武装をして天の安の河原に出で立つ。

「何をしに来たのか。」と天照大御神は云う。「母の国に行く前に、一言ご挨拶を・・・」と素戔嗚尊天照大御神はすぐには弟を信じない。「ならばその証を示せ。」と迫る。素戔嗚は「いかにして証明をすればよいのか。」と応じる。姉神は云う。「互いに誓約(ウケヒ)をして子を生し、諸々の神々にお前と私のどちらが正しいか判定してもらおう。」と。

かくして誓約は始まった。まず、天照大御神は素戔嗚がその腰に佩いていた刀を受け取り、三つにへし折り、天の真名井の聖水にてそれを濯ぎ、噛み砕いては「ぷっ」と霧のように吐き出した。そしてそこに生まれたのが、この三女神である。すると素戔嗚は姉の髪につけてあった勾玉を頂き、それを同様の作法にて「ぷっ」と霧のように吐き出す。そして生まれ出でたのが、前回紹介した国津神社の祭神天津彦根命(アマツヒコネノミコト)、天忍穗耳命(アメノオシホミミノミコト)、活津彦根命(イクツヒコネノミコト)、天穗日命(アメノホヒノミコト)、熊野樟日命(クマノクスヒノミコト)の五神である。

誓約の勝敗は・・・素戔嗚の勝利だ。素戔嗚の持ち物から心優しき女神が生まれたのは素戔嗚の心に邪がなかったことを意味する。

・以上の文章でよくわからなかった方は次の動画をご覧になられたい。本当によく分かる。

https://www.youtube.com/watch?v=IWJ7oLbA1-Y

遠い遠い神代、それも天上の国、天の安の河原にて生まれた神々が、今、地上の巻向の流れを隔てて祀られている。さらにはその巻向川の上流には、天照大御神が祀られる檜原神社があり、前回紹介した箸中の国津神社には素戔嗚が祀られている。

役者、舞台がともにそろっている。偶然にしては、あまりに神話に即しすぎている。ただ、この二つの国津神社は、ともにその成立を奈良時代以前までは遡ることはできないように思えることからして、この二つの神社の配置の在り方が、古事記神話のもとになったとは到底考えられない。おそらくは遠い遠い神代の昔に高天原であった兄弟げんかをこの世に再現しようとの人々の思いがそうさせたのであろうと思う。だから今もなお・・・毎年、8月28日、この二つの国津神社の氏子である、芝の人々、箸中の人々は巻向川を遡り、それぞれの氏神たちの祖神天照大御神のいます檜原神社へと集う。

・・・前置きが長くなり過ぎた。最近恒例となりつつあった狛犬さんは次の通り。

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本殿を取り囲む瑞垣の中にいらっしゃる。故にこれ以上近づけ図、何時のものかは確かめられなかったが、ちょいと古いんじゃないかと実感はあったのだが、ホシナさん・・・いかがでしょうか?

境内を取り囲むささやかな木立を北に抜けると陰陽石がある。

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これが男根女陰の象徴であることは言わずもがなではあるが、夫婦和合が世の繁栄と安穏の源であるとの古人の考えには、今もなお一定の真理が含まれていることは現代に生きる我々も無碍に否定することはできない。ゆえにヒトゲノムが完全に解読された今の世においてもこのような直截的な原始アニミズムの象徴のような造形物が今もなお人々の信仰をあつめているのだ。

最後にこの九日神社の立地について一言。上の陰陽石の間に見える小山は箸墓古墳邪馬台国の女王卑弥呼の墓とも目される墳墓である。私はその説には単純に賛同できないとは思っているのだが、「ヒミコ」を「日巫女」と解し、太陽神天照大御神と同一視する説がある。さらには・・・この神社をそのまま真東に向かったとき辿りつくのは、聖なる山三輪山の頂点。

これもまた偶然とは思えないような立地である。

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