大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

法華寺に行く・・・プローローグ

日曜日、朝からしょぼしょぼとした雨が降っていた。

この日は少し前から、最近、改装オープンをした阪急百貨店が賑わいを見せているという大阪梅田に出かけようと決めていた。世の評判になっている場所の空気を少しぐらいは嗅いでみたいという、哀れな田舎者根性の表出である。

けれども、その朝になって急に電車に揺られて大阪まで出かけるのが面倒になってきた。雨も降っていることだし、いっそこのまま一日中家の中でゴロゴロしていようか・・・そんな誘惑が私を襲う。先週の中頃にひいた風邪もひいたことだし、ここは休養ということで一日を過ごすのも悪くはない・・・どうせ、大和は観光シーズン。どこに行っても人・・・人・・・人・・・

・・・と・・・私の心にもう一つの思い。

しかしこんな雨の日ならきっと人出は少ないはずだ・・・という思いが頭をもたげてきた。かといってこの雨は私の行動をも阻害する。あまり雨の中を歩かなくともそれなりに楽しめるところ・・・そうだ・・・今なら正倉院展をやっているじゃあないか・・・まてよ、いくら雨降りではあっても、なんといっても正倉院展だ。しかも今日は休日で、最終日。人出が少ないわけはない。

ということで、どこかいいところはないかとネットにて調べてみると、いくつもの寺院での特別拝観の案内が目に飛び込んできた。

興福寺 国宝秋期特別公開(北円堂) 十一面観音特別開帳(秋) 西大寺 秋の特別展 秘仏愛染明王坐像特別開扉 夢殿秘仏 秋季救世観音特別開扉

枚挙にいとまがない。

http://event.jr-odekake.net/nara_n/eve.html

そんな数多くの特別拝観の中で特に私の心を惹いたのが、法華寺 国宝十一面観音立像特別開扉である。

法華寺というお寺、もちろん知らないわけはない。けれども・・・その前を何度も通り過ぎても、今度・・・また今度という具合な加減でまだ一度も訪れたことがなかった。それに・・・この寺はそんなに規模の大きいお寺ではない。雨の中を長い事歩き回る必要もないだろう。

そしてもう一つ。次の一文でかなり以前からこのお寺の観音様に一度はお目にかかりたいと思っていたのだ。

法華寺の本尊十一面観音は二尺何寸かのあまり大きくない木彫である。幽かな燈明に照らされた暗い廚子のなかをおずおずとのぞき込むと、香の煙で黒くすすけた像の中から、まずその光った眼と朱の唇とがわれわれに飛びついて来る。豊艶な顔ではあるが、何となく物すごい。この最初の印象のためか、この観音は何となく「秘密」めいた雰囲気に包まれているように感ぜられた。胸にもり上がった女らしい乳房。胴体の豊満な肉づけ。その柔らかさ、しなやかさ。さらにまた奇妙に長い右腕の円さ。腕の先の腕環をはめたあたりから天衣をつまんだふくよかな指に移って行く間の特殊なふくらみ。それらは実に鮮やかに、また鋭く刻きざみ出されているのであるが、しかしその美しさは、天平の観音のいずれにも見られないような一種隠微な蠱惑力を印象するのである。・・・<中略>・・・密教芸術には特に著しく肉感性があらわれてくるように思われるが、あらゆるものに唯一真理の表現を見ようとする密教の立場から言えば、女の体の官能的な美しさにも仏性を認めてしかるべきである。しかしこの種の美しさの底に無限の深さを認めることは、女体の彫刻に神秘的な「暗さ」を添えるという結果を導き出した。この観音像がそのすぐれた証拠である。そこには肉感性を敵とする意識と共に、肉感性に底知れぬ威力を認める意識がある。天平芸術の豊満な調和のなかには、かかる分裂は見られなかった。

和辻哲郎古寺巡礼」)

少々引用が長くはなってしまったが、私にはこの哲学者の完成された文章をこれ以上切り詰める能力はない。

ともあれ、この寺に鎮座ましますこの十一面観音にかなり前からお会いしたいと思っていたのだ。けれどもこの御仏は法華寺秘仏であるが故、一年にほんの数日しかその御姿を私たちに見せてくれない。それが今日行けばお会いできるのだ。

数分後・・・私は北に向かう車の中にいた。

雨はしきりにそのフロントガラスをたたく・・・