大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

法華寺に行く・・・下

美貌の観音の御姿にしばし見とれた後、美しく整備された庭園や、この寺の宝物庫たる慈光殿におさめられた絹地に書かれた阿弥陀三尊・童子像を拝見する。

最後に私は境内の東にある、から風呂へと向かう。

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光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂だ。現存の建物は1766年のものである。天平の・・・・光明皇后の、その遺徳を直接伝えるものではないが、次のような逸話が残っていることだけ紹介しておこう。

東大寺が完成してようやく慢心の生じかけていた光明后は、ある夜、閤裏空中(コウリクウチュウ)に「施浴」をすすむる声を聞いて、恠喜(カイキ)して温室を建てられた。しかしそればかりでなく同時に「我親ら千人の垢を去らん」という誓いを立てられた。もちろん周囲からはそれを諫止したが、后の志をはばむことはできなかった。かくて九百九十九人の垢を流して、ついに最後の一人となった。それが体のくずれかかった疥癩で、臭気充室というありさまであった。さすがの后も躊躇せられたが、千人目ということにひかされてついに辛抱して玉手をのべて背をこすりにかかられた。すると病人が言うに、わたくしは悪病を患って永い間この瘡に苦しんでおります。ある良い医者の話では、誰か人に膿を吸わせさえすればきっと癒るのだそうでございます。が、世間にはそんな慈悲深い人もございませんので、だんだんひどくなってこのようになりました。お后様は慈悲の心で人間を平等にお救いなされます。このわたくしもお救い下されませぬか。――后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と滑らかな玉の肌ざわりと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいっても癩病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。きたないから救ってやれないというほどなら、最初からこんな企てはしないがいい。信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか。この二者択一に押しつけられた后は、不得已、癩病の体の頂いただきの瘡に、天平随一の朱唇を押しつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに踵かかとにまでも及んだ。偏体の賤人の土足が女のなかの女である人の唇をうけた。さあ、これでみな吸ってあげた。このことは誰にもおいいでないよ。――病人の体は、突然、端厳な形に変わって、明るく輝き出した。あなたは阿閦仏(アシュクブツ)の垢を流してくれたのだ。誰にもいわないでおいでなさい。 これは誠にありがたい話で・・・

長い引用だが、再び和辻哲郎古寺巡礼である。文中にハンセン氏病に関わっての古い差別的な表現があるが、故事であるが故、ここは寛恕せられたい。

ささやかな・・・本当にささやかな施設である。これが光明皇后の時代の規模を示すものであるかどうかは分からない。ではあるが、今を遡る事1300年前、美貌の皇后が青人草に降り注がれたその慈悲のありがたさを思わずにはいられない。

最後にもうひとつ、見ておくべき堂宇がある。

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横笛堂だ。

平家物語」の巻十には次のように書かれている。

斎藤滝口時頼は平重盛に仕える武士である。横笛は重盛の妹、建礼門院が寵愛する踊り手である。横笛は今様・朗詠、さらには琴や琵琶、和歌にもすぐれていた。ある日、清盛主催の宴で横笛は舞う。その舞姿に魅せられたのが斎藤滝口時頼である。悲恋の始まりだった。 二人の恋を知った時頼の父の茂頼は激怒する。身分違いの恋は認められないというのだ。 時頼は悩み苦しむ。結果、嵯峨の滝口寺で出家してしまい、滝口入道と呼ばれるようになった。横笛も親も裏切ら ないですむ唯一の方法だったのだ。 時頼の出家を聞いた横笛は、自分のために世を捨てたことを申し訳なく思う・・・一方で恨み言のひとつも 言いたい、そんな女心から滝口入道となった時頼を追って嵯峨に向かう。 けれども、簡単には時頼のいる寺は見つ からない。横笛は探し回る。ようやく時頼の居所を探し当てたのは夜中。時頼の経を読む声に、歓喜し横笛は襖越しに思いを伝える。が、時頼 は、同宿の僧に横笛を追い返させる。横笛はどうしても想いだけは伝えたく、傍にあった石に指を切った血で和歌をしたためる。 山深み思い入りぬる紫の戸のまことの道に我を導け 時頼は煩悶する。この度はなんとか我慢できたが、次は自信がない。そこで、女人結界である高野山へ移り、未練を断ち切ろうとする。 それを知った横笛は現世では もう恋しい人に会えないことを悟り、自らも黒髪をおろして法華寺に入って尼となる。横笛が尼になったことを知った滝口入道は下のような歌を贈る。 そるまでは恨みしかどもあづさ弓まことの道に入るぞうれしき 横笛は返す そるとても何か恨みむあづさ弓引きとどむべき心ならねば と。間もなく横笛は儚くなる。その死を伝え聞いた時頼は、ますます仏道修行に専念し、ついには高野の聖といわれる高僧に までなった。

人あって思うかもしれない・・・どこかで聞いたことがあるような・・・

そう思われたあなたは、以前、必ずや、高山樗牛の「滝口入道」をお読みのはずだ。「滝口入道」は、平家物語巻十のこの悲恋を題材として書かれた小説なのである。

かくして私の法華寺への参詣は終了した。非常に心鎮まるひと時であったことは言うまでもない。私は天平の美貌の皇后に感謝して赤門を抜ける。次は・・・他府県から大和の地に参られた方ならば、この法華寺に隣接する、海竜王寺に足を向けられることであろう。せっかくここまでお出でになられたのだから、それがまたおすすめでもある。

けれども、私はそうはしない。今日、この法華寺において我が心中に生じた感慨に一切の夾雑物を交えたくはない・・・このあともう一つの寺、海竜王寺をまわれば・・・必然的に、新たに生じるであろうその感慨は、法華寺において私が心中に生じた感慨の純化の妨げになるように思われてならない。

今日はやめておこう・・・それが私の判断であった。海竜王寺にはまた来ればよい。それが大和に住むものの特権である。