大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お散歩・・・11・25上

本当に久しぶりのお散歩だ。だからと言ってコースは変わりはしない。いつもの通り、朝の8時ごろ家を出て、平等寺に続く坂道を上る。そして平等寺に突き当たったら、左に道を選び大神神社へと向かう。

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いつもなら、南側の手水舎で身を清め、神庭に足を踏み入れるところだが、その南側の手水舎は現在修理中。したがって神庭の西にある正面の手水舎で身を清めることにする。

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この石段を上って、神庭との境界には下のようなしめ縄が張ってある。

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その入り口の両端に清浄な柱を立て、その間に極太のしめ縄を渡す・・・おそらくは、これが鳥居の原型ではなかったのだろうか。大神神社ではここに至るまで、二つの鳥居を抜けて来なければならない。そして最後の最後に、特に清浄であるべき神庭と外の世界を明瞭に区切る・・・そんな印象がそこにはある。しめ縄の材料たる稲わらの持つ、無数の空間がその下を潜り抜ける人々の俗世の穢れを吸い取ってくれる・・・そんな意味があるのだろうか?

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そのせいか・・・拝殿はいつものように清浄である。

少々精神を緊張させ、神前で手を合わせる。

次に向かうべきは大物主神の荒魂を祀る狭井神社であるが、そこにたどり着く前に、今まで紹介していなかった石碑を一つ紹介しておこう。

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倭は国のまほろ

たたなづく青垣

山籠れる倭し うるはし

あの倭建命(ヤマトタケルノミコト)の辞世ともいえる古事記に残された一首である。その歌に、かの作曲家黛敏郎氏がつけた曲の楽譜が石碑に刻み込まれているのである。歌の作者の思いはともかくとして、右寄りの思想の持ち主であったこの作曲家のこの作品に向ける思いは容易に窺い知れるところではあるが、この春に参加したとある学会の研修旅行においてこの石碑の前で講義なさってくださった先生がお話してくださったこの作曲家のエピソードは少々意外だったので紹介しておこう。

それは、かの大戦中のことである。おそらくは旧制の中学校であろうが、そこを卒業しようとしたとき友人の一人が海軍だか、陸軍の兵学校に進むと言い出した。その話を聞いた彼は「そんなバカなことはやめろ」といって友人を諌めた。

という話だ。そんなバカなって気はするが、なにせ60年安保に対しては大江健三郎あたりと一緒に反対運動に参加したらしいからあながちでたらめだ・・・ともいいきれない。もっとも、その安保反対の運動にはあの江藤淳や今度どこかの都知事をやめて国会に打って出ようとしている御仁も参加していたらしいから、黛氏においてもこのお二方の様に単にアメリカ嫌いだっただけなのかもしれないが・・・

などと感慨にふけりながら、狭井神社へ・・・

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神山、三輪山へはこの神社でお祓いを受けなければならない。そしてお祓いを受けた人々が神の山へと足を踏み入れるのは・・・

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ここもまた二本の柱の間にしめ縄が張られ、そこを抜けて神域へと足を踏み入れるようになっている。残念ながら私はこの縄をくぐったことはない。情けない話ではあるが、一人でこのしめ縄をくぐるには私の勇気はあまりに貧弱すぎる。どなたかが一緒に行こう・・・と行って下さらなければ、私にはその勇気は一生でないような気がする。

<続く>