大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

お散歩・・・11・25下

狭井神社のお参りを済ませた後、まず目に入るのはこの景色。

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池の名前は分からない。たぶん名も付けられてはいないのではなかろうか・・・

夏には菱の葉に覆い尽くされて、微塵も見ることができない水面は鏡のように澄んで秋の蒼空を映し出している。

少し角度を変えてもう一枚。

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吸い込まれそうな感覚を覚えながらちょっと歩くと、いつもの展望台だ。大美和展望台と名づけられている。

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こんなにきれいに大和三山を見渡せる日もそう多くはない。盆地の途中に三つほど盛り上がった小さな丘がそれだ。右から耳成山、畝傍山、そして左端の平べったい丘が天の香具山だ。この三つの山の中心が藤原京の中心でもある。そしてその向こうに高々とそぎえているのは、大和と河内の国境を成す葛城、金剛の連山である。奈良時代には区別なく葛城の山と呼ばれていたらしい。

以前に

さらにまたこれも、もちろんこれは単なる地図上の一致に過ぎないかも知れないが、その畝傍山からのこの垂線をそのままたどって行くと、その先に聳えるのはこれまた、大和の神おわす山、三輪山にたどり着く。そして、その三輪山は、香具山の頂から見れば、正確に北東の位置、すなわち鬼門に当たる方角に聳えている。

と書いたことがあるが、この考えがあながち的外れでないとするならば、葛城の山はその裏鬼門を守る霊山であったとも言えよう・・・

そんな妄想を呼び起こさせてくれる・・・そんな景色だ。秋は確実に冬に移行しつつある。

澄み渡った蒼空を見ながら実感した・・・さて・・・次は

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久延彦神社である。出雲神話の世界で随一の知恵者で知られるこの神は、現代においては紛れもない学問の神。境内には数限りない合格祈願(大学やら高校やら・・・就職試験もあったかな?)の絵馬で飾られていた。けれどもいつも言うとおり、この神の御もとにたどり着くためには写真のような階段で息を切らさなければならない。文字通り学問への道は厳しく長いものなのである。ただし、私はこの神の御前にこっそりとお参りする方法を知っていて、いつもその道を理由している。何度も・・・何度もお参りをしているのに、私の学問がいっこうに成就しないのは、楽をしすぎているからなのかもしれない。

続いて訪れるのが若宮社。大神神社祭神大物主神の子、大田田根子を祀っている。

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見るからに寺院風の建物であるが、それも無理はない。この本殿はは、明治の神仏分離まで、神宮寺だった大御輪(オオミワ)寺の本堂として使われていた建物(鎌倉時代のものらしい)あるからだ。昭和61年より3ヵ年に亘り、調査・解体修理が行われ、用材の中には創建当初奈良時代後半のものが使用されていることがわかってきたのだという。くわえてそのその用地の発掘調査したのだが、飛鳥時代以前の住居跡が発掘され、大田田根子を祖とする三輪氏の住居跡ではないかと推定されている。

まあ、長い寺院としての歴史があったこの建物だが、それでも今は神社だ。狛犬さんはちゃあんといらっしゃる。

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御顔をアップで見てみよう。

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私の胸中にある狛犬さんというものの典型のようなお顔立ちだ。台座を含めての全高は185scmある私の身長をはるかに越える。250cmはあろうか・・・その台座に何やら文字が掘られてあるが、すっかりの磨滅してしまい、うっすらと読めたのは明治43年という年号のみ・・・

寺院であった頃には三重の塔も聳えていたという大寺も廃仏希釈の嵐の中、その絢爛たる堂宇も破壊しつくされてしまった。その中で唯一、神の社としてその存続を許されたのが、この若宮社の本殿なのである。