大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

思い出す味・・・「紅ばら」の釜揚げうどん

丸亀製粉なる讃岐うどん屋があちらこちらで目につく。私の住む大和にもここ数年で両手の指の数だけの店がオープンした。調べてみると全国に662店を誇るチェーンらしく、昼時はいつも多くの客で賑わっている。私は本場讃岐のうどんをご当地で食した経験がない故、これが正当な讃岐うどんなのかどうかは判断しかねるが、そこそこのうどんが280円から味わえるのだから人気が出ないわけがない。私も休日の昼なんか走らせこの店のドアーを開けることしばしばである。

まずはうどんをゆでる大きな釜を取り囲むカウンターにそって出来ている行列の後ろに並び、順番を待つ。客の回転が速い故、そう待たずとも自分の順番になる。そのわずかな時間の間に自分が食べるべきは、「かけ」なのか「ぶっかけ」なのか、はたまた「釜揚げ」なのかを決める。この段階で、そこに「きつね」を置くか、「大根おろし」を添えるか、あるいはカレーうどんにするのかを決めておく。

いよいよ私の番だ・・・今日は寒い・・・ということで、今日、私が注文するのは「釜揚げうどん・大」。大を注文しても380円だ。目の前のお盆に、大きな桶に張ったお湯の中に泳ぐ純白のうどんが見える。その隣の容器には、もちろん、付けつゆが張ってある。いずれの容器からも、外の寒さを忘れさせるべく、温かな湯気が立っているのが見える。私はそれらの温かな恵みを乗せたお盆を、そのまま横に滑らせる。カウンターは奥に向かって伸び、そこには幾種類もの天ぷらが並んでいる。一番最初に並んでいるのは、かき揚げ。それから・・・順番を忘れてしまったが・・・海老・烏賊・茄子・鶏肉・卵・南瓜といったものがほとんど揚げたてで並んでいる。これらの天ぷらは注文を受けてから揚げているわけではないが、それなのに揚げたてのように思えるのは、それだけ回転が速いことを意味する。お盆の上にあらかじめのせておいた取り皿に、好みの天ぷらをのせてゆく。私の最近のおきまりは烏賊・茄子・卵ということになっている。そのどれもが100円から140円。「釜揚げうどん・大」とあわせて、700円ちょい。これが安いか高いかは、実際にこの店で食べてもらって判断していただくしかない。

・・・とここまでお付き合いいただいて、今回のテーマ「紅ばら」のうどんはいつ出てくるんだと怪訝に思われているかもしれない。そろそろ、本題に移ってゆきたいと思う。

そう・・・あれは私が高校1年の時の冬。

高校球児だった私は、自宅が同じ町にある先輩と連れだって駅に向かっていた。あと5分も歩けば駅という路地裏の道で、先輩が「ちょいと付き合え」と言って、表通りに向かって歩き出した。後をついて行くと、その頃出来たばかりのスーパー(生協)に入って行く。先輩はその入り口付近にあったうどん屋へと私をいざなった。入り口の暖簾には紺地に白(だったと思う)で「紅ばら」と染め抜いてあった。高校生の私にもうどん屋に「紅バラ」は少々怪訝には思ったが、その後に従った。

6,7人座ればいっぱいになるL字型のカウンターと、4人掛けの小さなテーブルが3つほどの小さな店だ。カウンターの中にはおばちゃんが4,5人(今、私はそのおばちゃんたちの年齢を過ぎてしまった)。先輩はもうすでに何度かこの店に来たことがあるらしく、おばちゃんたちは「あら、今日は二人連れ?」という意味の石巻弁を口々に言った。

「後輩だ。」と先輩が答えると、おばちゃんの一人が「いつもの?」と聞いてくるので、先輩は「うん、いつもの。」と答えた。しばらくして私たちが座ったカウンターにさしだされたうどんは、駅などで食べるうどんの器より二回りほど大きいものであった。たっぷりとした出汁に泳いでいるうどんの上には紫蘇・人参・玉葱・茄子の天ぷらが乗っていた。もちろん、揚げたてだ。あくまでも個人的な嗜好ではあるが、天ぷらからにじみ出る油は、関西の薄口のそれよりも、東日本で一般的な濃い口醤油で味をつけた甘みのある出汁が良く合う。

うまかった・・・この上なくうまかった。高校生の、まだ幼い味覚ではあったが(50歳を過ぎた今の私の味覚が成熟しているかは自信がない)、これまで食べてきたうどんとは別格のように思えた。練習後の空腹がそう思わせてくれたのかは知らぬが、最後の一滴までその出汁をすすりきった。おばちゃんたちはまた口々に「まあ、うれしいこと。」と、また石巻弁。

勘定は先輩のおごりだった。

店を出るなり、先輩は「ここに来たら、『釜揚げ』をたのめ。」といった。注文するときに眺めていた品書きには「かけ」が無く、「釜揚げ」が一番左に(と言うことはこの店でもっとも安価なもの)、180円の値段と一緒に記されていた。単純に「釜揚げ」とは「かけ」と同じようなものだとそのときは理解した。そして、うどんに乗っていた幾種のてんぷらは食べ盛りであった我々へのサービスであって、本来はうどんに天かす(揚げ玉)と葱と一枚の蒲鉾が乗っているだけのものがこの店の「釜揚げ」であったことも、この時先輩から教わった。日ごろ、野球に対しては非常にストウィックなこの先輩が、このようなことを知っていることが妙に新鮮に感じた。

ところで・・・本来の「釜揚げ」がまったく別種のものであることは上記の通り。

では、なぜこの「紅ばら」では、数種の野菜の天ぷらの乗ったうどんを「釜揚げ」と呼んでいたのか?その後何度も何度もその店を訪れた私であったが、郷里にいたころは、湯だめに釜から上げたばかりのうどんを入れ、つけつゆにつけて食べる皆さんがご存知の「釜揚げ」を知らなかった私であるから、その頃はそんな疑問を一切抱きようがなかった。しかし・・・私が関西に出て来て、昔石巻の学校に通っていた頃を思い出し「釜揚げ」をたのむと、出てきたのは・・・みなさんおご存知の通りの「釜揚げうどん」。私は唖然とした。

その後、他の店にても「釜揚げうどん」をたのむ。結果はどこに行っても一緒。3限目の店で食べたころには、どうやら「釜揚げ」というのは、湯だめに釜から上げたばかりのうどんを入れ、つけつゆにつけて食べるものだと悟った。では、

再び問う。なぜ「紅ばら」では、「かけ」に毛の生えたようなそれを「釜揚げ」と呼んでいたのか?

わからない・・・あえて、その理由を想定してみる。

讃岐うどんというものがいかなるものか、その頃東北の地ではまだ理解されてはいなかった。ただ、そこはうどんを商売にしようとしたこの店の店主だ。「釜揚げ」の名ぐらいは知っている。それを単に「湯の沸いた釜から上げたばかりで、あれこれ手を加えていない。」というぐらいに理解したのではなかろうか。そして・・・あまりあれこれ手を加えないといえば「かけ」しかない。ただ、「かけ」と呼んだのでは、いかにも安価なものとのイメージが付きまとう。そこでたまたま知っていた「釜揚げ」という言葉を、この店のもっとも素朴なうどんの名としたのではなかろうか・・・

まあ・・・そんなことはどうでもいい。大切なのは、この店の味が今もなお私の記憶に残っているということ。そして、未だにこの店で食したこの「釜揚げ」を上回るうどんに出会ったことがないことだ。

それは・・・おそらく・・・私の懐旧の情がなせる業なのだろうが、どうやら「紅ばら」は今もなお健在らしい。また、何度か味わってみたい味とは思う。