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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

奥松島の牡蠣・下

前回の記事で、遅ればせながら自らの郷里奥松島の牡蠣の味の目覚めた私は、通信販売にてその味覚を求めることを始めた。今ならば下のようなところをちょいちょいっとクリックすれば簡単に買えるわけだが、

当時は、ネット通販なんてものはそんなに発達してはおらず・・・というよりも、私自身コンピューターなるのもに触ったこともなく、ましてやインターネットはなにものぞ、という状態であったのだから、事は簡単ではない。なんとか見つけたその通販ルートは、ゆうパックであった。正確には「ゆうパック ふるさと小包」。ある日、所要で郵便局に行ったとき、置いてあったそのカタログを眺めていたら、奥松島の牡蠣がそこにあったのである。パンフレットもあったので早速家に持ち帰り、大蔵省(今は財務省と言ったほうが的確か?)と緊急閣議。牡蠣好きの我が家の大蔵大臣から異論が出るはずもない。翌日、現金書留にて早速注文。数日して牡蠣が到着。包みを開けると部屋中に我が郷里の海の香りが漂う・・・

・・・この香りだ・・・スーパーで売っている牡蠣には、その牡蠣が育った海を語ってくれる香りがない・・・

それから数年というもの、ひと冬に何度か郵便局から奥松島の漁協に現金書留を送ることとなった。

それから数年後・・・私は、志津川の牡蠣の味を知る。

志津川市町村合併によりその名を変え、今は南三陸町という。そう・・・私の生まれ育った東松島と同じように・・・いや、さらに激しく破壊されつくした、あの南三陸町である。

とある雑誌でこの町の牡蠣の存在を知り、一度試してみたい・・・と思っていたら、別の雑誌で、この町で魚屋、ヤマウチさんの存在を知った。何でも、手広く通販活動を行っているらしい。その頃には、少しはコンピューターをいじることを覚えていた私はインターネットにて検索、早速探し当てる。しかしながら、まだネットに慣れていない私は、ネット通販なるものにまだ信頼感を持てなかったので、そこにあった電話番号から注文をした。支払いは銀行振り込みだったと思う。

数日して到着。包みを開ければ、奥松島の海の香りよりもさらに鮮烈な志津川の海の香り。身は奥松島のそれよりもやや小粒か・・・。けれども、その香りのさわやかさは何物にも代えがたいものがあった。さらに驚いたのが、火を通してもほとんど縮まない・・・無論、奥松島の牡蠣もそうではあるが、志津川の牡蠣のその具合と言ったら・・・

・・・両者の牡蠣の是非については、もう、好みの上でしか語ることはできない。穏やかで丸みのある味わいを求めるならば、奥松島のそれを。ストレートに磯の香りを味わいたいのならば志津川のそれを、としか私には言えない。

かくして我が家には冬の間、同じ宮城の海で育った、しかもかなり性質の異なった牡蠣が送り届けられるようになった。

そして2012年、牡蠣のシーズンが終わり、来年のシーズンの訪れを待とうとする矢先にその日がやって来た。豊かな幸をいつも私たちに恵んでくれていた海は、突然、その強大な力を、残酷な形で私たちに示した。わが郷里奥松島の町も、志津川の町も昏く冷たい波濤に圧倒され、その姿は一瞬にして消え去った。

不謹慎に思われるかもしれないが、この時私の胸裏に去来したいくつかの思いのなかに「もう・・・あの牡蠣は食えないのだな。」という思いがあった。私にとって奥松島の、あるいは志津川の牡蠣を食べるということはその豊かな味わいを楽しむことと、もう一つの意味があった。郷里の海の、その一つの結晶を食することにより、自分と郷里との繋がりを確認し、自分がかの地にて生まれ育った人間なのだと自覚するという行為でもあったのである。だから、その牡蠣が食べられなくなるということは、自らをそのルーツへと繋ぐいくつかの糸の一本が切れたことになるのだ。

しかし、我が郷里・・・いや、東北の海の民の立ち上がりは私の想像を越えて早かった。その切れたはずの糸を再び再生させてくれようとする営みが、震災の痛みが消えやらぬ我が郷里の町で、早々に始められたのである。あの震災のあったその年の冬にはすでに奥松島は牡蠣の出荷を行っていた(無論以前どおりのというわけにはいかないが)。そして、志津川においても・・・

最後に一つのブログを紹介しておこう。上にあげた志津川の魚屋ヤマウチさんの店長のブログだ。

http://yamatsuhan.blog73.fc2.com/

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