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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

2012年卒業式式辞再述

当ブログはごらんの通りの過疎ブログで、おいでになる方は日に3~40人というのがトータルな数字である。そんなブログでもいくつかのアクセス解析のサービスを導入しており(こんなに少ないんだからそんなことをしなくたっていいようなものだが)、それぞれの数値には微妙に食い違いがある。そのうちのどの数字が正鵠を得ているのか疑問はある。したがって、先にあげた3~40人という数字はサイドバーの最下部に設置してあるアクセスカウンターの数字で、皆さんも目にすることのできる数字だと言うことでご承知願いたい。

ところが・・・である。この2月になってからこの数字が徐々に増え始めている。先日は98人。一昨日なんかはついに100人を超してしまった。たいした有益な情報を発信していつ訳でもないこの三友亭雑記がこんな数字を獲得するのは、はっきり言って異常である。主人である私が言うのであるから間違いはない(笑)。

いったい何が原因なのか・・・

そこには一つ、顕著な傾向が見られる。私が去年の3月に書いた、とある記事にアクセスが集まっているのである。その数は日に2~30以上になる。その記事とは・・・

http://soramitu.net/zakki/archives/1329

2012年3月1日に挙行された我が母校、宮城県石巻高等学校において挙行された卒業式における学校長式辞に関する一文だ。そのアクセスのすべてがなんらかの検索エンジンにおいての検索の結果当ブログに訪れられたものばかりだったので、ちょいと試しに「卒業式 式辞」とグーグルで検索してみた。すると、なんと1ページ目の上から7番目に載っているではないか。しかもその二つ上は東京大学の式辞集。一つ上は2011年度の熊本大学の式辞。一つ下は京都大学、二つ下は名古屋大学だ(今日の朝9時現在の数字。投稿時点の午後9時ではな・な・なんと1ページ目のトップ)。居並ぶ有名大学の名前の中で、我が三友亭雑記の名が燦然と輝いているではないか。

あまりの事実に私は恥じ入るばかりであるが、試みにそれらの大学の式辞を読んでみた。私の文章はともかく、そこに引用した我が母校の学校長の式辞は、日本を代表する国立大学の総長によるはなむけの言葉に決して引けをとっていないように思えた。もちろん、大学生相手の式辞と、高校生相手の式辞とを単純に比較することはできない。しかしながら卒業してゆく学生たち対する「思い」というものに限れば(母校の学校長ということで贔屓目に見ているが)我が母校の2012年度卒業式式辞に軍配を上げたいと思う。そこには当然大学の総長と、高校の校長の学生との心理的な距離が反映しているものだと思われる。

・・・と、ここで私は思う。

ならばなぜそんな私の記事にアクセスが集まりだしてきたのか。理由はお察しの通りである。我が奈良県ならば、この3月1日に県立高校の卒業式が一斉に行われる。一部の私学をのぞけば、小学校だって中学校だって卒業式は3月だ。2月はそれぞれの学校の校長先生が懸命になって式辞の原稿を考えておられる時期なのだ。

日頃、授業を担当することのないそれぞれの学校の校長先生にとって、学生たちに自らの思いを直接語りかける場面はそう多くはない。何か生徒が悪さをして訓戒を施さねばならない場合を除いて、公式にはそれぞれの学期における始業式・終業式の式辞、あるいはその学期中にあるであろう諸行事の挨拶ぐらいのものだ。そんなわずかな機会の中において最も重要な場面が入学式と卒業式である。就中、卒業式の式辞の重みと言えば格段のものがあるだろう。それが卒業してゆく学生たちに対して、それぞれの学校長が行える最後の教育的行為であるからだ。

自らの思いのたけを、これから巣立ってゆく学生たちに伝えたい・・・校長先生たちは考えるであろう。しかしながら、卒業式はあらゆる学校行事の中において、最も重要な「儀式」でもある。そこには、一定の形式が求められる。「儀式」においては他の何よりも形式が求められるからだ。その形式を大きく外した形で、勝手に自らの思いだけを語ることは、学校長には許されない。

いきおい、校長先生たちは先例を頼りとすることとなる。

それぞれの学校には、歴代の学校長が残してきた膨大な先例が残されていることだろう。まずはそのあたりが校長先生たちの第一資料となるものと思われる。けれども、式辞はあまり時代とかけはなれたものであっていけない。時代に即したものでなければ、教育的効果は半減する。また、そうでなければ、それぞれの校長先生自身の思いとも乖離してしまう。とすれば、その参考となる資料は、ここ数年のものとなる。けれども、前年、前々年の式辞を参考にしたのでは、卒業式に参加する学生や職員たちに、「あれ、この話、なんか聞いたことがあるぞ・・・」ということになってしまう。

そこで、校長先生たちは第2の資料を学校外に求める。以前、本屋で学校長のための例文集のようなものを見かけることがあった(大きな本屋さんに行けば教職員向けの書籍の並んだコーナーが必ずある)。毎日の職員朝礼・始業式・終業式における言葉の例文の膨大な量が収録されていた。もちろん、入学式・卒業式のものもである。「なんだ、校長先生にもこんなアンチョコがあったんだ・・・」などと、そのときは妙に感心したものであるが、そんな本が本屋さんにならんでいるぐらいだから、こんな本を利用される校長先生も少なくはないのであろう。

そして、さらに資料を収集しようとすれば、ネットに頼るということになるのだろう。その結果が今回の私のブログのアクセス増に繋がっているのだろうと思う。私はその記事に「2012・卒業式式辞」と題した。なんともまあストレートな題名である。特に意図したわけではなく、こった題名を考えるのが面倒くさかっただけのことであるが、それが偶然検索にかかりやすい題名だったのであろう。

さて、拙ブログがそんな校長先生たちのご参考になったか・・・はなはだ自信はない。けれども現在の卒業生に向けられた式辞に、高校を卒業して30年以上もたったおじさんが勇気づけられ、自分がかつて学んだ学校をかくも誇らしく感じられたという事実を、そんな校長先生たちのたった一人にでもお気づきになっていただけたのならば幸いこれに勝るものはない。