大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

薩摩にて

この3月の初旬、私は薩摩の国は霧島温泉郷にいた。今の職場でここ3年の間取り組んできたプロジェクトの完了を祝っての打ち上げ旅行に参加していたのである。私がこの職場に赴任したのは昨年4月。したがって、私はこのプロジェクトに1年間しか参加していなかったことになるが、それはそれ、楽しい企画には参加するに限る。

日が暮れかけた頃、宿に到着した私たちは霧島の湯にどっぷりとつかってここ3年(私だけは1年)の疲れを癒した後、こういった旅行の際にはおきまりのどんちゃん騒ぎ。酒宴はこのプロジェクトが始まってからその日に至るまでの思い出話を肴に三更に及んだ。しかしながら、そんなどんちゃん騒ぎの様子をここでお伝えしたところで読者諸氏にはおもしろくも何ともない内容になってしまうことは必定。ここは旅の一日目については思い切ってはしょって、翌日からのレポートをお届けすることとする。

深夜に及ぶまで大騒ぎしていた割に翌朝は早く目が覚め、宿の据え付けの時計の針(正確にはデジタル時計の文字)は6時ちょっと前を示していた。私はふと楽しみにしていたことを思い出した。

霧島温泉霧島連山の南西の斜面に位置し、錦江湾を望む。宿の仲居さんの話によれば桜島、開聞岳が望めるという。昨日は到着が遅くしかも雨天であった故、その勇姿を見晴るかすことはかなわなかったが、ふと窓の外を見れば空が青い。私は思わずベランダに出たが、朝早い故か空は青いものの遠景はまだおぼろにかすんでおり、桜島、開聞岳はその姿をまだ見せてはいなかった。

少々残念な気持ちで私は早速朝風呂へ行く。湯から上がって程なく定められた朝食の時間。やっと部屋に帰り着きベランダに出たのは8時もやや過ぎた頃であった。 桜島は・・・開聞岳は・・・ 錦江湾上空はあいにくまだもやったままでうっすらと桜島の稜線が見えたに過ぎなかった。あまりに薄すぎるその稜線はカメラではとらえることはできない。 ・・・が、はっきりと我がカメラ(今回は旅先故、妻のコンパクトカメラ)にとらえられるものがあった。

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「噴煙の写真」 桜島の噴煙である。 今なお活発に活動を続ける桜島は平均すれば日に3~4回噴火する。そのうちの一回が私たちの朝食中にあったのである。遠く大和の国よりの我々をこの薩摩の国・・・隼人の国の象徴はこんな控えめな形で出迎えてくれたのだ。

そのかみ・・・万葉集の編者ともくされる大伴家持はその波乱の人生の一時期をこの地の国守として過ごしていた。天平宝字8年(764)~神護景雲1年(767年)のことである。藤原仲麻呂暗殺未遂に関与したための報復人事である。天平を代表する家人はこの地で苦汁の日々を過ごしていたのである。

さらに遡ればその父、大伴旅人養老4年(720年)2月、大隅の国に勃発した隼人の反乱鎮圧のため、征隼人持節大将軍としてこの地を訪れている。 ふとそんなことを思い出した私は、おそらく隼人の民の目には侵略者として、あるいは抑圧者として移っていたであろうこの古代の歌人二人がどのような思いでこの噴煙を眺めていたあろうか・・・そんなことを考えていた。

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