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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

薩摩行・・・1

過日もお伝えしたように,私はこの3月の初旬、鹿児島は霧島の地を訪れた。楽しい一夜を過ごした後、旅の二日目は霧島温泉駅よりローカル線に乗り、九州を北上する、少々「鉄ちゃん」めいた日程である。宿を出たのが朝の9時半頃、霧島温泉駅に着いたのが10時前後だっただろうか・・・
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本当に・・・本当にのどかな光景であった。
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まるで人気のないローカル線のホームほーむにしてはあまりに長すぎる。今はこうしてすっかりとうらさびれて見えるこの駅も、かつては多くの利用客がいたであろう証のように思えた。

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今はほとんど人気のないホームのかたわらをこんな方々が賑わしている。

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よく分からないので一つ一つをアップしてみると・・・

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かかしだ。

上の二つは、どこかしら・・・お隣の国の遊園地あたりにいる著作権無視の着ぐるみを思わせる出来のキャラクターである。わが国でもおんなじことをやっているじゃないかあ(笑)・・・などと思いつつ・・・一番下の写真。こちらが撮られているような錯覚におちいってしまう。

そんな寂しい駅で待つこと30分。彼方から私たちが乗るべき列車の姿が次第に近づいてきた。黒っぽい塗装が施された真にシックな車体である。

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黒光りのする車体はホームに入る。

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車体の側面には下のように書かれてあった。

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はやとの風

・・・そうだ。ここは隼人(ハヤト)の地なのだ。車名の由来は、当然のごとく隼人の地を風のように駆け巡るという意味であろうとは想像できる。

隼人と言葉を耳にするとすぐさま薩摩隼人なんて言葉を想起してしまうが・・・・そもそも隼人とは、古代日本において、薩摩・大隅の地に居住していた人々を示す語で、古くは「ハヤヒト」と呼ばれた。隼(ハヤブサ)のように敏捷・勇猛な人々という意味であると考えるのが一般的な理解だ。問題はそもそも「隼ハヤブサ」」という文字を「ハヤ」とのみ訓じることは可能なのかということだが、古事記には応神天皇には速総別命(ハヤブサワケノミコト)という皇子がいたとされるが、この皇子の名は日本書紀において隼総別皇子と表記されている。ここはどうしても「速」と「隼」の訓みが同じでなければならないことから考えると、どうやら奈良時代の人々は「隼」の字を「ハヤ」とのみ訓むこともあったらしい。

他に唐書倭国伝の「波邪ハヤ」に居住していたことに由来しているとする説、「南風ハヤ」の吹く地の人々とする説もある。ただし、この場合なぜ「「ハヤ」という音に「隼」という文字が使われたかを説明しなければならない。都の四方を守護する四神(青竜・朱雀・白虎・玄武)の内の朱雀が鳥隼とも言われることから、「ハヤ」の音に「隼」の文字を当てたとする考えを聞いたことがある。風俗や習慣が異なった民でもあり、しばしば大和の政権に反抗した隼人ではあるが、やがて朝廷の支配下に位置するようになり、律令制度内における官職のひとつとなった。彼らを管理し、あるいは彼らが属する隼人司(ハヤヒトノツカサ)が、初め宮中の警護をつかさどる衛門府に管轄されていた事実は、隼人の民が、その敏捷さ・勇猛さを朝廷が高く評価していたことを示しうる。そしてその彼らが、宮廷の正門ともいえる南の門を守っていたと考えから、「南の人」→「鳥隼の人」・・・「隼人」という字面で彼らを表記するようになった。そして、それがもともとあった「ハヤト(波邪の人・南風の人)」という言葉と重なった時、「隼人」を「ハヤト」と訓みうるようになったのであろう・・・というかんがえなのだろう・・・

隼人が日本の歴史の中に登場するのはかなり古く、例の海幸山幸の話まで遡る。古事記によれば、かれこれあった後、弟の山幸に散々懲らしめられた後にこれから永遠にお前の子孫を警護し続けると誓約した兄海幸が、隼人の人々の祖先だという。先にも述べたように、宮中の警護に当たった衛門府に隼人司が設けられたのも、この説話の結果であろう・・・いや、事は逆で、敏捷・勇猛で知られた隼人の民が大和朝廷の支配下に入った時、知られたその勇猛果敢さゆえに、宮中の警護を任せられ、その由来を語るために海幸山幸の話が形成されたとも考えられる・・・

・・・と、話が変な方向に進んできた。もともと話の主眼ははこの3月初旬にあった我が「鉄ちゃん」旅行の報告にあった。次回、話を本筋に戻したい・・・

 

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