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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

曽爾高原に行く

4月25日午前、私は奈良市の中心部を始発として我が職場の位置する都祁を抜け、三重県松阪市へと続く国道369号線を東に向けてひた走っていた。国道369号線は現在伊勢本街道と称されることも多いが、いにしえの民たちが大和から伊勢へと向かったその道と完全に一致しているわけではない。伊勢本街道は桜井市初瀬(ハセ)の周辺では泊瀬(ハセ)街道とも呼ばれ、国道165号線と幾度も交差を繰り返しながら東へと向かうが、西峠を越え伊勢街道の宿場町でもある榛原の町で369号線と交わる。伊勢本街道はここから369号線と交差を繰り返しながら伊勢の神宮へと東進することになる。

私はその日その369号線をひたすら東へ、東へと向かっていたのだ。道からやや反れたところに一本の道を中心にして細長い集落が見える。おそらくはその道が正確な意味での伊勢本街道ではある。そしてそんな集落を左に見たり、右に見たりを繰り返しているうちに、私はこの369号線と別れを告げねばならない場所にまで来た。そのまま道なりに進んでいけばあと少しで御杖村(ミツエムラ)という、曽爾村掛の交差点で曽爾村三重県名張を結ぶ奈良(三重)県道81号線へとハンドルを切った。

道は青蓮寺川に従って名張へと向かう。途中には奇岩絶景と紅葉の美しさで知られる香落渓(カオチダニ)があるが、私はその手前、曽爾の郵便局のそばで81号線から離れ、急峻な坂道に我が愛車を挑戦させる。小柄な車体ではあるが、我が愛車ラクティスな健気にもわが思いに応え高度差300mを5分ほどで登り切った。

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曽爾高原である。曽爾は古くは古事記には「宇陀之蘇邇」(仁徳記)とか日本書紀に「追之至菟田、迫於素珥山」(仁徳紀)とあらわれており、その由緒の古さがうかがえる。その曽爾の里の平均的な標高が400m程であるが、ここ曽爾高原は700m程になる。普段は一面がススキの原で、秋などにはそのススキがこの高原に銀一色の世界を作りなし、多くの観光客を集めている。ことに夕暮れ時などは私の言葉が表現できる範囲を越えている。

ということで、上の写真の山(亀山)を背にしてシャッターを切ると、曽爾の地で最も知られた山並みをおさめることができる。

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真ん中の尖っているのが兜岳、その右の丸いのが鎧岳。中央から左は、写真でははっきりしないが手前に屏風岩、奥にとがっているのが国見山だ。この日、私はこの地で夜をすごさなければならない。高度700mがもたらす冷気に耐えながら挑戦したのがその夕景である。

Photo0063

上の写真とほぼ同じ場所で撮ったものだが、残念ながらカメラが違う。上の写真はペンタックスx-5、下の夕景は、以前から愛用している携帯電話(940sc)によるものである。写真御出来はともかく、息をのむような「美」がそこにはあった。私の拙なる映像で物足りないとお感じなった方も多いかと思うが、そんな方には是非お勧めの場所である。

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