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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

奈良公園を歩く・・・4/29(下)

東大寺二月堂は大和盆地北東に聳える若草山の麓をやや上ったあたりに、盆地にせり出すようにして作られた舞台造りの観音堂だ。有名な京都の清水の観音さん辺りを想像していただけばその様子は髣髴できるであろう。したがって、その舞台の欄干からはこの上のない眺望が開かれている。

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画面中央に見える巨大な屋根は東大寺金堂・・・すなわち、大仏殿だ。手前に見える大きな屋根は二月堂の湯屋であろうか・・・。そして、大仏殿の大屋根の向こうに見える山並みが生駒である。日没頃のこの舞台からの眺望はそれを表象する言葉もないと聞くが、残念ながら私はまだそれを見たことはない。

何時かはきっとと思っている。その時は堂々と私が撮影した写真をお目にかけることとしよう。

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さて、上の写真、どこかで目にされた方は多いのではなかろうか。先に述べた湯屋の横を抜け、大仏殿の裏手へと抜ける道だが、生涯に渡って大和路を追いかけ続けた写真家、入江泰吉氏も幾つかの作品を残された有名な撮影スポットである。今日はその姿を見ることができなかったが、いつもならイーゼルを立てて絵筆を走らせている方も少なからず目にすることができる・・・そんな場所だ。

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そして、その場所から180度振り返って・・・・大仏殿が見えている。あそこまで・・・あそこまで・・・私はゆっくりと歩みを進めた。薫風は心地よく吹きすぎて行く・・・

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東大寺東回廊である。中門から東西に延びたこの廻廊は、重要文化財。朱と緑と白の組み合わせが鮮やかである。

ただ今日は大仏さんにお会いする予定はない。この100m程続く回廊の傍を通り抜けた後は、中門あたりで大仏さんの鎮座する大仏殿に向かって軽く会釈した後、すぐさま背を向けて参道を南に下る。

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途中、巨大な堂宇の下を通る。見上げれば上のような骨組みがむき出しの構造になっている。そしてその場所から左右を見ると・・・

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縮み上がるほど怖い顔をしたお二人がこちらを睨みつけている。

そう・・・ここは東大寺南大門。上のむき出しの柱はこの巨大な構造物を特徴づける工法を示す。柱を貫通させる水平材を多く用いて堅牢性を向上させ、天井板を張らず構造材をむき出しにして装飾として見せている。大仏様(ダイブツヨウ)という、鎌倉再建当時、中国から伝わった建築様式であるという。

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車を止めていた春日大社に戻る途中に見かけた小鹿。おそらくは昨年生まれたものであろう。まだ冬毛から夏毛へと生え変わってはおらず、きれいな鹿の子模様は見られない。水辺にこうやって一人(一頭)佇んでいるところを見ると、水を飲むことに夢中になって母鹿とはぐれたのであろうか・・・

これが人間の子供であったのならば「どうしたの・・・」と声でもかけ、交番まで連れて行くぐらいのことはしたであろうが、相手は鹿だ。「どうしたの・・・」と問いかけても、応えてはくれない。それに無理に交番に連れて行っても、相手にしてもらえないこと請け合いなので、かわいそうではあるがその場を立ち去ってしまった。まあ、こんなかわいい小鹿が一声心細げに声をあげれば母鹿はたちまちに駆けつけるであろう・・・

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二の鳥居の当たりから、その参道に入って春日大社へと向かった。両脇に続く灯篭の数は尋常ではない。その一つ一つに刻まれた銘を見ながら(これがけっこう楽しい)その本殿へと進む。あとは駐車場に行って車に乗り、奈良公園をあとにするだけのつもりであったが、ふと思い出したことがあり、春日大社の南門を潜り抜け、その神庭に出た。

お目当ては・・・これだ。

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なあんだ・・・ただの藤じゃあないか・・・などと思ってはいけない。ノダフジの変種といわれるこの藤は、摂関近衛家からの献木と伝えられ、『春日権現験記』にも書かれている古藤で、その樹齢700年以上とも言われているのだ。写真では分かりにくいが、その花房の長さは生育が悪く充分に成長しなかった年でも120cm強。生育のよかった年などは160cmを越える長さまで花房の長さが達するという・・・よってその名は「砂ずりの藤」。

私が訪れた日(4/29)は、まだその生育の途中であったと見えて、ざっとその長さを推測するに80cmほど。

ちょいと残念な気分にひたりながら私は春日大社を後にした。