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大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

山辺の道1日旅行5

雨は次第に激しさを増してくる。けれども、山辺の道の多くの部分は舗装もされており、足許はそう悪くない。ただ天理観光農園を過ぎて、もうかなりの時間歩き続けている。そろそろ休憩をとりたい頃合い・・・長岳寺の山門が見えてきた。

ここも、見学するに充分値するお寺ではあるが、これからまだ訪れなければならない場所がいくつかある。そう長い時間はとれない。一行は、その山門にほど近い天理市トレイルセンターで休憩を取ることにした。ちょいと長めの休憩にしたのは気の向いた方が、山門から楼門へと続く参道沿いの見事なツツジを見学できるための計らいである。

私は・・・ツツジ見学へは向かわず、トレイルセンターから見える雨に煙る大和盆地に見入っていた。この方角に、これから向かう黒塚古墳と大和(オヤマト)神社があるのだ。

休憩は20分ほどであっただろうか。我々は再び雨の中歩き始めた。

道はここから山辺の道を離れることになる。そして歩くこと10分。黒塚古墳展示館に着く。

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中に入る前に、エントランスにて解説の先生により詳しい説明。物覚えの悪い私が、ここでその懇切なご説明を反復するよりも、上のリンク先をご参照になったほうが正確であろうが、当日の資料の一部を引用だけしておく。

【黒塚古墳

奈良盆地の東南部に位置する大和古墳群に属する前期古墳(三世紀末頃)。全長一三〇㍍の前方後円墳で・・・・中略・・・・平成九年(一九九七)から十年をかけて奈良県橿原考古学研究所によって行われた第三次調査で、規模と墳形が明らかになり、三三面の三角縁神獣鏡と一面の画文帯神獣鏡が副葬当時に近い状態で発見されたことで有名。

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これが三角縁神獣鏡・・・もちろんレプリカだよ・・・

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これが画文帯神獣鏡・・・これもレプリカ・・・

これらの鏡が、この古墳に祀られている主を取り囲むように埋葬されていたという。たった一枚の画文帯神獣鏡はその頭部に置かれていたという。

この古墳にて発掘された二種の鏡は、いわゆる邪馬台国論争に一時期結論を与えたようにも思えた。邪馬台国の女王、卑弥呼が魏に遣使した際(景初3年239)魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述があることから、三角縁神獣鏡がその鏡であると考えられていたからである。

一方で邪馬台国九州論を語る方々からは、三角縁神獣鏡と同じようなものは中国では出土しておらず、中国で既に改元された年号や実在しない年号の銘が入ったものもあることから、日本製、あるいは中国から渡来した工人の製であるとする説や、日本で中国の鏡を真似てつくった倣製鏡説などが示されている。

未だ定見を見ないというのが実情であろう。もちろん、それぞれの論者に言わせれば、それぞれの持論こそが真なのであるから「未だ定見を見ない」という物言いは少々(あるいはかなり)ひっかりを感じるに違いないが、私のような門外漢にとって、今行われているこの辺りの論争はどれもこれもが「未だ定見を見ない」としか言いようがない。

ただ来月、纏向遺跡の発掘に長くかかわり、その調査結果から邪馬台国が大和にあったとする考えを示しておられる石野博信氏の話を親しく聞く機会がある。

ちょいと・・・いや、かなり楽しみである。

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