大和逍遥   

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山辺の道1日旅行6

黒塚古墳展示館を後にすれば、山辺の道1日旅行も終盤をさしかかったことになる。

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黒塚古墳の前方部である。雨はなかなか止んでくれない。私たちは更に西進を続け(と言ってもほんの数分)、上街道へと出る。上街道とは、近世に入ってからの呼称で、古くは上つ道と呼ばれていた古代日本における官道のひとつである。上つ道は6世紀後半から7世紀にかけて整備され、大和盆地の東端を南北方向に延びている。同様に大和盆地を南北に縦断する道としては、中ツ道、下ツ道があるが、これらの道はほぼ等間隔に平行して大和盆地を南北に貫いている。上つ道は桜井市から天理市南部にかけて、比較的よく形跡が残されており、そこから推定される道幅は43mと推定されている。桜井市内で「山田道」と接続し、明日香方面にも続いていた。この道筋にある箸墓(現在の桜井市箸中)は壬申の乱の古戦場としても有名であるし、かの邪馬台国卑弥呼の墓の推定地のひとつとしても広く世に知られている。

これから私たちが向かおうとしているのは、大和(オヤマト)神社。上街道を北上すること20分(30分はかかっていないと思う)ほど、大和神社の参道へと出る。

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写真の様に、長い長い参道である。

降りしきる雨は私たちとともに、参道の木々を濡らす。参道の木々はその緑をいっそう鮮やかにし、私たちの目を楽しませてくれる。

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大和神社拝殿である。この向こう側に、三つの神殿が建てられており、三柱の神が祀られている。

その三柱とは、日本大国魂大神、八千戈(ヤチホコ)大神、御年(ミトシ)大神の三神で、主たる祭神は中央に祀られている大国魂大神である。

社殿によれば大国魂大神は、かつては宮中内に天照大神と同殿共床にて祀られていた神であるが、崇神天皇の御代、天皇はその神威を畏れ、天照大神を皇女である豊鋤入姫(トヨスキイリヒメ)をして倭の笠縫邑に移されたとき、これまた皇女の淳名城入姫(ヌナキイリヒメ)に勅して、市磯邑に移されたのが当神社の創建であるという・・・

奈良時代には、遣唐使が派遣される際、その一行は出発に当たって当社に参詣し、その旅の安全を祈願したという。海の安全を守る上と考えられていたのだろうか・・・そういうこともあって、「戦艦大和」の守護神として、その艦内に日本大国魂大神は分祀されていた。

さて、これで本日の日程の全てがクリアーされた。雨天ということもあって少々の予定は変更されたということだが、充分に満足できる一日であった。

・・・けれども、まだ本当の意味では日程の全てが終わったわけではない。私は大和神社にほど近いJR長柄駅から、自宅のある桜井の方には乗らず、解説をしてくださった先生方とともに奈良行きの列車に乗った。

それから4,5時間は経った後であろうか・・・充分にアルコールを摂取した私が天理駅のベンチに座っていた。