大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

昼は咲き 夜は恋ひ寝る

最近、とんと更新のペースが鈍り、週一回の更新が精一杯になっている。特に忙しいだとか、体調が悪いだとかの事情は一切ない。すべて我が怠惰なる精神のなせる業である。まあ、このしがないブログが更新されようとされまいと世の中にいささかの影響もあるまいと自負している故、それはそれでよいのだが、ブログを更新する目的の一つに我が衰え行く脳味噌に刺激を与えることがあるのだから、あまり怠けてばかりもいられない。そろそろ更新しなければ・・・・


三輪の町中から、三輪山の南側の裾野を巡り、私は毎朝通勤している。その裾野の道はやがて国道165号線に合流する。ちょうどその合流するあたりが朝倉。しばらく東進して出雲。さらに進んで初瀬となる。

朝倉は雄略天皇が宮処として泊瀬朝倉宮(ハツセアサクラノミヤ)を構えた地。出雲はなぜこんな場所にこの地名があるのか・・・古代大和と出雲の関係などを考えるとちょいとワクワクするような地名だ。初瀬は言わずと知れた十一面観音がおわす長谷寺天照大御神の降臨伝説もある與喜山がある。歴史好きな方々には堪えられないような場所を通り抜けて私は毎日職場へと向かう。

・・・初瀬の地をぬけた後、そのまま165号線を走り、榛原の地から峠を越えて都祁の地にある職場へと向かうことも可能ではあるが、それはちょいと遠回り。私は少々難路ではあるが、この初瀬の地から初瀬川沿いに北東へと向かい都祁に入る。

初瀬川沿い・・・まさに谷沿いの道で、道は川の気まぐれな流れに従って右に左に大きく曲がる。一度、職場に着くまでに何度ハンドルを切るのか数えたことがあるが、途中でその数が分からなくなってしまったほどである。ところどころに開けた土地があり、そこには集落や田畑も存するが、その道のほとんどの場所が両脇に山が迫った谷あいの道である。

山々は今、初夏の頃の多彩な緑はなく、そのすべてが濃い緑に蔽われている。そんな濃い緑の中に、所々涼やかな淡紅色の花が見える。

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こんな感じである。その一つ一つをアップしてみよう。

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合歓の花である。

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サービスでさらにアップしてみた。

大和盆地に車を走らせているときにはあまり気付かなかったのだが、この都祁への道の両脇には、この合歓の花が目立つ。これは私の通勤路だけのことだけではなく、他の地域から都祁へと向かう道は、押しなべてこの季節合歓の花の淡紅色に飾られている。

合歓と書いて、「ネブ」あるいは「ネム」と読むが・・・

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これはその葉が昼は上の写真の様にひらいていても、夜は閉じて左右の葉がしっかり閉じてしまう様が、男女の共寝の様を連想させることからの命名だという。共に「ネム」るところから来ているのであろう。中国名である漢字表記の「合歓」は容易にその和名の由来を想像させる字面である。男女が「合」して「歓」ぶ・・・そんな意味合いである。なんともエロティックな命名である。次の万葉歌はそんな意味合いを十分に踏まえて詠まれた歌なのだろう・・・

昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや 戯奴(ワケ)さへに見よ

昼に咲いて、夜には恋しい想いを抱いて寝るという合歓の花を、主君である私だけが見てよいものか・・・そなたも、ここにきて見るがよい・・

万葉集・巻六1461

紀女郎(キノイラツメ)が、大伴家持に贈った歌である。紀女郎は万葉歌人。当時安貴王の妻で、家持から見れば年上の魅力的な人妻といったところか・・・。戯奴というのは目下の人を呼びかける言葉。若い家持に対してちょいとふざけて歌ったのであろう。合歓という花の意味合いが上記のように理解されていたとするならば、「君のみ見めや 戯奴さへに見よ」の2句はただならぬ意味を持つ。年上の魅力的な人妻が、このような意味合いを持つ合歓の花をともに見ようというのだから、当時官職についたばかりの若い名門貴族の御曹司の心がときめかないはずはない。

けれども・・・そんな甘い誘いをまに受けて歌を返してしまうほど、若い家持は風流を解しない男ではなかった。家持は次のように返す。

我妹子(ワギモコ)が 形見の合歓木は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも

あなたさまの形見の合歓木の木は、花だけ咲いて、おそらくは実にならないかもしれません。

万葉集・巻六1463

「実にならじ」とは相手の言葉の空疎さを責める言葉。家持は年上の魅惑的な人妻、紀女郎のちょっとしたたわむれに対し、あなたの言葉など信じられませんとなじる。もちろん、これとて言語上の軽い遊戯に過ぎないのだが・・・

おそらく名門貴族紀氏出身のこの人妻(しかも皇族の)は、官職についたばかりのこの大伴家の御曹司が、いかばかり歌心を解しているのか試みたのであろう。そして・・・家持はその試みを充分に理解し、その正解を出したのである。