大和逍遥   

別に運営している「三友亭雑記」というブログのバックアップである。

宇太水分神社へ行く・・・中

ともあれ道はその頂点にたどり着いた。先に見えるトンネルを抜ければ・・・そこは宇陀の地である。そこに目的地、宇太水分神社はある。

と、私は先日の記事は結んだ。しかしながら、それはやや不正確な表現であったことここで告白しなければならない。上の一文で書いたトンネルはあくまでも女寄(ミヨリ)峠をショートカットするためのものであって、その頂点はさらにここから標高を上げなければならない。

忍阪(オッサカ)から延々と続くこの坂道は、初め緩やかに南側に弧を描いて高度を上げるが、やがて1km強の直線となる、この部分が斜度10パーセント強の部分である。やがて道はYの字をなして二つに分かれる。左が旧来の峠道、右が新しくできたトンネル道・・・女寄道路である。自転車などに乗ってその道の風情を味わいたいのならば左に曲がりさらに標高を上げて汗をかくのも一興ではあるが、今日は目的が違う。そんな苦労をして宇陀の地に向かう必要もないので、安楽な女寄道路を進む。

トンネルの長さは400mほどであろうか・・・さして時間もかけずに、私たちは宇陀の地に足を踏み入れる。今度は打って変わったようななだらかな下りである。1kmほど東進したあとは、内原という交差点を右に折れる。道はまだ166号線のままだ。標高は340m前後といったところであろうか・・・このあたりから土地は開け、盆地上の地形をなす。とはいえ、なだらかな丘陵があちらこちらに存し、道は緩やかにアップダウンを繰り返す。

この道沿いはかつて阿騎野(アキノ)と呼ばれ、明日香に都のあった頃は一面の原野であり、朝廷の狩り場であった。皆さんもご存じの

東の 野にかぎろひの 立つ見えて 返り身すれば 月かたぶきぬ

柿本人麻呂万葉集・巻一・48

が詠まれた場所として有名である。私が中学校の時にこの歌を習ったときには、限りなく広がる原野の東の果てに今まさに昇ろうとする旭日、そして西の地平に沈みゆく月の姿を想像していたため、初めてこの地を訪れた時、そのギャップに戸惑ったものであるが、私の脳裏にかような広大な光景を想起させたことこそ、この歌の持つ力であろう。実際には矮小な光景ではあっても、この歌に接したとき人は思わず無限に広がる大地を想起してしまう・・・歌人柿本人麻呂の面目躍如といったところであろうか・・・

なんてことを思いながら車を走らせていると、道の右手に道の駅が見える。道の駅「宇陀路大宇陀」である。その前が拾生(ヒロウ)の交差点で、そのまま直進する道と、左・・・すなわち東・・・に向かう道とに分かれる。道はそのまままっすぐ進めば370号線。左に曲がればそのまま166号線である。目的地である宇太水分(ウダミクマリ)神社へは、166号線をそのまま進まねばならない。

3kmと半ほど車を走らせると、菟田野(ウダノ)古市場(フルイチバ)の町並みが見えてくる。古市場の手前を流れる川が宇陀川の支流芳野(ヨシノ)川。166号線はこの川を渡る水分橋を渡るとすぐに右に折れる。そして50m。今まで走り続けた国道の左に町中へと入ってゆく細い道が、朱塗りの大きな鳥居を抜けて行くのが見える。宇太水分神社一の鳥居である。本来ならば、この鳥居から皆さんにお示しできればと思うのだが、なにせ車が対抗するのもままならぬような細い道。車を止めてゆっくりとは撮影は出来ない。ちょいと我慢してその道の突き当たりまで・・・そこに宇太水分神社はある。

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